街、雲、それからホッキョクグマ ~ Polarbearology & conjectaneum


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ホッキョクグマの起源について(3) ~ 画期的な新説が登場するも依然として残る謎

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ユキ (2012年6月30日撮影 於 周南市徳山動物園)

前投稿よりの続き)
前々回にご紹介しました「(2)15万年説 (2010年登場)」はホッキョクグマの起源の説明としては完全に通説の地位を確立していたといってよいでしょう。 そして多くの文献やネット上の情報において「ホッキョクグマの起源」として記述されているものの大部分はこの「15万年説」に拠っているように見受けられます。 通俗的な言い方をすればこの説の根本は、「ホッキョクグマはヒグマから枝分かれしたのだ。」という従来の考え方を前提に、それをミトコンドリアDNAの解析によって追認・補強した説であるわけです。 ところが、揺るがないと思われたこの通説に対して強烈なパンチを浴びせる新説が登場したのが今年の4月でした。 以下、再び報道記事を引用する形でこの新説の内容を再確認しておきましょう。

(4)核DNA部分的解析による60万年前説 (2012年4月登場)

>【ロンドン19日ロイター時事】 ホッキョクグマとヒグマが別の種(しゅ)として進化を始めた時期が、以前考えられていたよりもずっと早いことが新たな研究で分かった。 これにより、ホッキョクグマが急速な温暖化に適応できるのかという懸念が強まった。 研究結果は19日、科学誌「サイエンス」に掲載された。 これはドイツの生物多様性・気候研究センターのフランク・ハイラー氏率いるチームの遺伝子研究論文。 それによると、ホッキョクグマは約60万年前、遺伝的に最も近いヒグマから枝分かれした。 これは、科学者がこれまでに一般に想定していたよりも5倍早い時期だ。 この研究結果は、ホッキョクグマが極めて長い年月をかけて氷の世界に適応したことを示唆している。 したがって、ホッキョクグマは北極の気温が上昇して海氷が融解する状況への適応に苦労する恐れがある。 海氷という不可欠な餌場を奪われるからだ。体の大きさ、皮膚、毛の色やタイプ、歯の構造、それに行動様式という観点からするとホッキョクグマとヒグマは大きく異なるが、これまでの研究によると、両者は進化の過程でごく最近に枝分かれしたことが示されていた。 これは母から子へ受け継がれるミトコンドリア系統の研究に基づいた結果で、遺伝子つまりDNAのごく一部の分析結果だった。 今回、研究チームはホッキョクグマ19頭、ヒグマ18頭のサンプルを使い、細胞核内部にあるはるかに多くのDNAを調べた。 その結果、ホッキョクグマとヒグマが別々の種としてはるかに長期間存在していることが分かった。 ハイラー氏はロイター通信の電話インタビューで、「以前の研究結果はホッキョクグマが非常に速いペースで進化を遂げなくてはならなかったことを示していた。 種としてかなり若いとされていたからだ。 しかし、われわれの今回の研究では、ホッキョクグマはもっと長い時間をかけて適応したことになる。 ホッキョクグマの種としての歴史が長いというのは、進化的に見て理にかなっている」と述べた。 同氏のチームの計算では、ホッキョクグマとヒグマが分岐した当時は更新世期時代で、地球の温度が長期間にわたって冷え込んだ大氷河期だった。 偶然の一致の可能性もあるが、地球の冷却化がホッキョクグマとヒグマの分岐の引き金になったかもしれないという。 (時事通信 Apr.20 2012

さて、私はこのロイター通信の報道があったとき実際にこの報道内容がサイエンス(Science)誌の研究報告を正しく要約したものであるかを確認するため、同誌の研究報告の原文 (" Nuclear Genomic Sequences Reveal that Polar Bears Are an Old and Distinct Bear Lineage ") の全文を有料で入手し内容をチェックしてみました。 すると重要な部分で幾分のニュアンスの違いがあることに気が付きました。 それは、この報道(日本語訳)では新説について「それによると、ホッキョクグマは約60万年前、遺伝的に最も近いヒグマから枝分かれした。」となっています。 ロイター通信の記事の原文(英語)ではこれが、

” the Arctic's top predators split off from brown bears, their closest relatives, around 600,000 years ago ”

となっています。 ところがこの研究報告の原文ではこの「枝分かれ(“split off”)」ではなくdiverge という用語が用いられています。 そして、

” Polar and brown bears are sister groups, with their divergence time estimated at 603 (338 to 934) ka.”

と表現されています。 この研究報告の内容から見ても、これは「枝分かれ」ではなく「分岐」であることを明確に示しています。 今回の新説の研究報告では、従来の通説の「枝分かれ」を

”Recent studies have shown that the polar bear matriline (mitochondrial DNA) evolved from a brown bear lineage since the late Pleistocene,”

のように表現しています。 これはまさしく「枝分かれ」を意味しています。 通説をこう要約した新説の研究報告は結論部分で、

” These analyses support that polar bears are a distinct and genetically differentiated species, rather than a lineage that evolved recently from a brown bear genotype. "

と言っています。つまり新説ではホッキョクグマはヒグマから「枝分かれ」したのではなく、この両者は(60万年前に)、お互いの原種から「一緒に別れた」のだということです。 ロイター通信の原文英語記事、そしてそれを翻訳して日本のマスコミ各社に配信した時事通信は用語の使用に若干無神経な点があるように思いました。

「(2)15万年説 (2010年登場)」は母親のみから受け継ぐミトコンドリアDNAの解析によって得た結論ですが、今回のこの新説は父親・母親の両方から受け継いでいる核DNA(Nuclear DNA)を解析して得た結論ですので、明らかに通説である(2)よりも遥かに優位に立っていると考えられます。 ミトコンドリアDNAよりも抽出がかなり難しいと言われている核DNAの解析に成功したのは快挙だと言えるでしょう。 以下はヒグマとホッキョクグマの起源を従来の通説(2)と今回の新説(4)を対比させて図示したものです。 左上側の図Aは核DNA(Nuclear DNA)の解析による今回の新説、そして右上側BはミトコンドリアDNAを解析して得た結論であった従来の通説です。 そしてさらに、右下のDが今回の新説による系統図です。
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(C)Science/AAAS

しかしこれでホッキョクグマの起源に関して100%の結論が出たかと言えば必ずしもそうではないように思います。 なぜミトコンドリアDNAの解析で出た通説の結論がヒグマとホッキョクグマとの「枝分かれ」が15万年前という、今回の60万年前という新説の結論と大きく違っていたのかということです。 一つの考え方としては、15万年前というのはホッキョクグマの起源年代ではなく、単にホッキョクグマとヒグマとのハイブリッドの誕生の起源であったのだという理解の仕方でしょう。 しかし過去においてホッキョクグマとヒグマとの間のハイブリッドがどのような環境や条件で行われたのか、ホッキョクグマのその後の進化にどのような役割を果たしたのかなど、ハイブリッドの問題についてはむしろ謎は深まったと言えるのかもしれません。
(続く

(資料)
時事通信 (Apr.20 2012)
Reuters (Apr.19 2012 - Polar bears are no new kids on the block)
Science (Apr.20 2012 / Vol. 336 no. 6079 pp. 344-347 - Nuclear Genomic Sequences Reveal that Polar Bears Are an Old and Distinct Bear Lineage)
The New York Times (Apr.19 2012 - Investigating Mysteries of Polar Bears’ Ancestry With a DNA Lens)
The Christian Science Monitor (Apr. 19 2012 - Polar bears emerged far earlier than thought, DNA study indicates )
BBC News (Apr.19 2012 - DNA reveals polar bear's ancient origins)
Eurasia Review (Apr.21 2012 - Polar Bears Are Evolutionarily Older And Genetically More Distinct Than previously Known)

(過去関連投稿)
ホッキョクグマの起源について(1) ~ 諸説の成立過程を整理する
ホッキョクグマの起源について(2) ~ ホッキョクグマ版 「イヴ仮説」 の登場
by polarbearmaniac | 2012-07-12 22:00 | Polarbearology

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