街、雲、それからホッキョクグマ ~ Polarbearology & conjectaneum


by polarbearmaniac

プロフィールを見る

「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(12) ~ 二個体の同居準備はどうするか

a0151913_311759.jpg
ミルク (2013年5月1日撮影 於 男鹿水族館)

釧路市動物園では11歳のツヨシと2歳のミルクという雌同士による同居を計画していることについてはすでに広く知られています。 飼育下において複数のホッキョクグマを一つの展示場で同居させる場合、その許容しうる雌雄の頭数構成についてアメリカ動物園・水族館協会 (AZA - Association of Zoos and Aquariums) が作成した 「ホッキョクグマ飼育マニュアル (Polar Bear Care Manual)」(pdf) に記載があり、これについては以前、「 『ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)』よりの考察(9) ~ 同居を許容しうる雌雄の頭数構成」 という投稿を行っています。 その投稿では多くの実例を写真と動画で紹介していますので、それをまずご参照頂きたいと思います。 それを踏まえたところから本投稿の内容が展開します。 そして同時に今回のミルクの右耳負傷事件についても再度考えてみたいと思います。
a0151913_312415.jpg
ミルク (2013年5月1日撮影 於 男鹿水族館)

実はこのツヨシとミルクの組み合わせによる同居はその以前の投稿によれは、「B.Group of multi-females (雌だけの2頭以上)」 というパターンに該当していますのでAZAのマニュアルでは同居は許容される組み合わせです。 さて、それからが問題です。 このAZAのマニュアルの第4章 “Social Environment” の3 “Introductions and Reintroductions” がまさに今回該当する極めて重要な箇所です。 まず同居準備のための「引き会わせ」 (英語の “introduction” をこう訳しておきます) についてこのマニュアルはこう言っています(幾分意訳している箇所もあります)。

“Based on the potential for serious or fatal injuries to the
bears, all introductions should be well planned, not rushed,
and intensely monitored.”

(個体同士が互いに相手に対して重大もしくは致命的な危害を与える可能性があることに基づき、こうした「引き会わせ」 は周到に計画し、急がずに、そしてじっくりと経過を監視する必要がある。)

そして次に、この 「引き会わせ」にはケースによって難易度があることに触れています。 こう言っています。

“It is easier to introduce bears when they are subadults. More
care needs to be taken when introducing adult bears or young
adult females to adult bears.”

(若年個体 – “subadults” をこう訳しておきます – 同士の場合はより簡単である。 しかし、成年個体 – “adult bears” をこう訳しておきます – 同士の場合、又は雌の若年個体を成年個体に「引き会わせ」する場合にはより注意が必要である。)

ツヨシとミルクの場合はこの “introducing young adult females to
adult bears” に該当するかどうかが問題です。 私は「該当しない」と考えます。 ですから、成年個体同士の「引き合わせ」よりもツヨシとミルクの「引き会わせ」 のほうが楽だろうと考えるわけです。 そして次も重要です。

“The personality of the individual bears and their previous
experiences with conspecifics can influence the speed and
ultimate success of the introduction.”

(個体の持つ性格差、過去における同種の同居体験の有無は、この「引き会わせ」受容のスピードに影響し、そしてその成功の有無に決定的な影響を与える。)

要するにツヨシとミルクの性格が問題であるということですね。 そしてツヨシにはクルミ、ユキオとの同居体験がありますから、このツヨシ/ミルクの同居成功には有利に働くということです。 旭山動物園のルル、サツキ、ピリカの三頭はそれぞれがやはり過去にこうした他個体との同居を経験しており、そして性格的にも攻撃的な要素がないということが「引き会わせ(introduction)」 に長い時間を必要とせず、そして同居開始後もうまくいっている理由でしょう。 私が何年間か海外のいろいろな動物園の事例を知った限りでは、欧州、特にオランダやデンマークでもこの個体同士の「引き会わせ(introduction)」 の時間は非常に短く、二頭の性格に問題が無ければためらうことなく同居を決断し、そしてそのほとんど全てについて見事に同居は成功しているように思います。
a0151913_3143119.jpg
ミルク (2013年5月1日撮影 於 男鹿水族館)

このAZAのマニュアルは、さらにこの「引き会わせ」の基本的手順について八つの項目を列記しています。 非常に長い記載ですので、これらについてはこの投稿で詳しく紹介することはしませんので是非、AZAのマニュアルのこの項目の全文を原文で参照頂きたく思います(pdf.)。 ページで言いますと22 ~ 23ページがその記述です。 この記述は最も難易度の高い場合、つまり繁殖目的で初めて雄と雌を引き会わせる場合を念頭に置いていますので非常に厳格ともいえる手順を示しています。 本投稿ではこの八つの項目のうちの今回のミルク負傷事件の問題に関連しているのではないかと思われる個所だけを抽出して以下に述べておくこととします。 まず4において、

“The bears should have olfactory and visual access to each
other without the possibility of one bear being able to injure
the other. Bears should not be able to get paws or other
body parts through barriers or access portals during the
early stages of the introduction.”

(二個体の接近は互いに相手を傷付けることが不可能な状態で嗅覚と視覚によって行わせ、そしてこの初期段階においては障壁や接触口から脚やその他の体の部位が反対側に出ることが不可能な状態で行わせなければならない。)

...ウーン、まさにこれですね、今回のミルクの右耳の負傷に関連した部分は。  要するに初期段階 (“during the early stages of the introduction”) で「引き会わされた」二頭の間を隔てる障壁 (barriers) からは互いに脚やその他の体の部位が出てはいけない (“...should not be able to get paws or other body parts through barriers”) ということです。 今回のミルクの負傷事件がツヨシとの同居準備の「引き会わせ」の初期段階だったのかどうかは私にはわかりません。 しかし仮にミルクの体の部位(つまり右耳)がツヨシ側に出ていたとすれば、このAZAのマニュアルはそういった状態を許容していないわけです。 しかしこの状態が何日も継続している間に何の問題もなかったのであれば、園側の管理責任云々は微妙でしょう。 そしてさらにツヨシとミルクの「引き会わせ」は繁殖目的の雄雌の同居のためのものではありませんから難易度はそう高くはなく、尚のこと管理責任云々を指摘することは微妙だろうと思います。 ましてやAZAのマニュアルはアメリカの動物園(+男鹿水族館も準拠) のマニュアルですから日本の動物園には適用されないのだという理解をしたとすれば、釧路市動物園の管理責任云々は、なおさら微妙でしょう。 そうなると問題は「道義的責任」云々というような話に限定されてくることになるでしょう。 しかしそれは「牛刀を以て鶏を割く」 といったやや大げさな話ではないでしょうか。
a0151913_3161486.jpg
ミルク (2013年5月1日撮影 於 男鹿水族館)

私はやはりツヨシとミルクの同居は是非ともやってみるべきだろうと思います。 今回の負傷事件があったからといって釧路市動物園はそれに萎縮して「退却する」のではなく、「前進する」ことによってこの問題を決着させてほしいと思います。 「ホッキョクグマ飼育先進国」 のオランダやデンマークの動物園だったら必ずやりますよ。 彼らはホッキョクグマを甘やかせたりはしません。 「何かあったらどうするのだ?」 などという発想を踏み越えて果敢に課題に挑戦し、そして彼らはそれに成功するわけです。 そういった例は過去にいくつもご紹介してきたつもりです。 今、私が簡単に思いついただけでも以下の投稿があります。 いずれも考え様によっては非常に危険な試みです。

・オランダ・ヌエネン、「動物帝国」でのフリーマス親子を含む6頭同居の壮観さ ~ 柔軟な飼育方針の成果
・オランダ・ヌエネン、「動物帝国」での父親同居の試みのその後 ~ 無視され孤立してしまった父親ヘンク
・オランダ・レネン、アウヴェハンス動物園での三世代同居の試み
・デンマーク・スカンジナヴィア野生動物公園でのシークーとネヌ、ヌノの同居 ~ ドキュメンタリー番組より
・デンマーク・スカンジナヴィア野生動物公園でのネヌ、ヌノ、シークー、そしてイルカお母さんの同居の近況

こういった例と比べればツヨシ/ミルクの同居などはそれほど大したものではないわけです。 世界はまだまだ先を行っているわけです。 ただしツヨシ/ミルクの場合は今まで以上の注意が必要であることは言うまでもありません。

ただしかしそもそも、私はこのツヨシとミルクという雌二頭が同じ空間で暮らすというこの動物園の状況そのものが自体が本当に良いことなのかどうかについては、また別の意見を持っています。
a0151913_3181878.jpg
マルル(仮称 ノワール) (2013年4月6日撮影 於 札幌・円山動物園)

あっと、忘れるところでした。 このAZAのマニュアルは「引き会わせ(introduction)」 だけでなく 「再会準備 (Reintroductions)」 についても短い記載があります。 これはつまり、札幌のララを繁殖のために再びデナリと同居開始させる場合などです。 実はAZAのマニュアルは、こうした場合も短期間ではあれ「引き会わせ(introduction)」 を行うように定めています。 以下です。
Reintroductions:
“Care must also be taken when reintroducing pairs that have
been separated for prolonged periods of time. Usually, re-
introductions of bears that are familiar with each other take
less time than new introductions. A short visual introduction
will show if the animals are ready to be reintroduced based
on the affiliative or aggressive behaviors shown by the bears
to each other.”

(しばらく別居していたペアの再会準備にも配慮が必要である。通常の場合はお互いに熟知している相手との再会準備は新しいペアの「引き会わせ」よりも時間がかからない。旧知のペアを短時間だけ顔合せさせてみれば、互いに親しくなりたい態度を見せるのか嫌悪感を示す態度を見せるのかという反応を見ることによって二頭の再会の用意を行う。)
a0151913_3213773.jpg
ポロロ(仮称 ブランシュ) (2013年4月6日撮影 於 札幌・円山動物園)

モスクワ動物園などはこうしたことをぜずに、いきなりシモーナとウランゲリの同居を再開させていますので、このAZAのマニュアルの「再会準備 (Reintroductions)」 は行っていないわけです。 おそらく円山動物園もこれはやっていないのではないでしょうか。 それはこの両園はペアの相性の良さに自信を持っているということになるでしょう。 ウランゲリもデナリも性格的には非常に柔軟ですから問題はないということなのでしょう。 ところが欧州の動物園では比較的これをやっているようです。 しかし、せいぜいやっても半日といったところのようではありますが。

(資料)
Association of Zoos and Aquariums - Polar Bear (Ursus Maritimus) Care Manual

(過去関連投稿)
「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(1) ~ 雄雌の同居は繁殖行動期に限定すべき?
「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(2) ~ ホッキョクグマの訓練をどう考えるか
「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(3) ~ 胸部の変化は妊娠の兆候と言えるのか?
「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(4) ~ 産室内の授乳の有無をどう判断するか
「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(5) ~ 赤ちゃんの頭数・性別は事前予測可能か
「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(6) ~ Courtship Behavior の位置付け
「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(7) ~ 産室内の母親は室内に留め置くべきか?
「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(8) ~ いつ頃から赤ちゃんを水に親しませるか?
「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(9) ~ 同居を許容しうる雌雄の頭数構成
「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(10) ~ 出産に備えた雌の「隔離」とは?
「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(11) ~ 母子をいつ引き離すか
by polarbearmaniac | 2015-02-16 06:00 | Polarbearology

カテゴリ

全体
Polarbearology
しろくま紀行
異国旅日記
動物園一般
Daily memorabilia
倭国旅日記
しろくまの写真撮影
旅の風景
幻のクーニャ
エッセイ、コラム
街角にて
未分類

最新の記事

ロシア北東部・サハ共和国、ヤ..
at 2017-03-27 21:00
フランス・ミュルーズ動物園の..
at 2017-03-26 22:00
ハンガリー・ブダペスト動物園..
at 2017-03-25 21:00
ウクライナ・ムィコラーイウ動..
at 2017-03-25 13:00
ロシア北東部・サハ共和国、ヤ..
at 2017-03-24 15:00
ドイツ・ミュンヘン、ヘラブル..
at 2017-03-23 20:00
男鹿水族館のクルミと豪太のペ..
at 2017-03-22 23:30
ハンガリー・ブダペスト動物園..
at 2017-03-21 20:00
ロシア・ノヴォシビルスク動物..
at 2017-03-21 18:00
ロシア・ノヴォシビルスク市の..
at 2017-03-20 19:00

以前の記事

2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月

検索

ブログパーツ

  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。

ライフログ


人生と運命 1


スターリン―青春と革命の時代


モスクワは本のゆりかご


私のモスクワ、心の記憶


自壊する帝国 (新潮文庫)


甦るロシア帝国 (文春文庫)


嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)


ロシア 春のソナタ、秋のワルツ-1999-21st


それからのエリス いま明らかになる鴎外「舞姫」の面影


ミチコ・タナカ 男たちへの讃歌 (新潮文庫)


わがユダヤ・ドイツ・ポーランド―マルセル・ライヒ=ラニツキ自伝


ベルリン戦争 (朝日選書)


Hof――ベルリンの記憶


カチンの森――ポーランド指導階級の抹殺


北京烈烈―文化大革命とは何であったか (講談社学術文庫)


慟哭の通州――昭和十二年夏の虐殺事件


主題と変奏―ブルーノ・ワルター回想録 (1965年)


藤田嗣治 異邦人の生涯


Barle's Story: One Polar Bear's Amazing Recovery from Life As a Circus Act


Hotel Adlon: Das Berliner Hotel, in dem die grosse Welt zu Gast war


Ein seltsamer Mann


Alma Rose: Vienna to Auschwitz


St Petersburg: A Cultural History


Gulag


The Guest from the Future: Anna Akhmatova and Isaiah Berlin