街、雲、それからホッキョクグマ ~ Polarbearology & conjectaneum


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ホッキョクグマの母親にとっては究極的には女の子より男の子の方が大事? ~ 「母親の授賦」 を考える

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ドゥムカお母さんと息子のニッサン 
(2014年9月18日撮影 於 ロシア、イジェフスク動物園)

当ブログにおける今回の大阪と札幌におけるホッキョクグマの赤ちゃんの観察は従来とは異なる私独自の視点で行われているわけで、それは一つの仮説が果たして正しいのかという問題意識からなされています。 それは、「ホッキョクグマの母親はその出産から一定の期間経過以降、自分の産んだ子供の性別を本能的に感知し、そしてその性別によってやや異なる対応(育児)のやり方を行う。」 という仮説です。 そしてこの異なる対応(育児)は「関与性」「非関与性」という形をとって外在化されるという考え方です。 このホッキョクグマの母親の自分の子供に対する「関与性」「非関与性」は母親の育児経験と年齢とは無関係であるという事実だけはすでに昨年観察したレニングラード動物園のウスラーダの件で明らかになったと私は考えています。 ともかく私の仮説が事象にうまく適合しなければ、今度は別の座標軸に従って別の仮説を立てていきたいと思っています。 こうして仮説を組み立てては観察し、そして適合しなければ別の仮説を立てるという連続によって私なりのホッキョクグマの行動研究を突き詰めていきたいと考えているわけです。 試行錯誤は当然ありますが、それは研究には付き物だと思っています。 本来こういった研究は野生下のホッキョクグマの親子を対象とすべきなのはもちろんですが、野生下で同じ親子を何か月にもわたって観察し続けることは不可能ですので、飼育下のホッキョクグマを対象とする以外ないわけです。

さて、実は現在の私の仮説である 「ホッキョクグマの母親はその出産から一定の期間経過以降、自分の産んだ子供の性別を本能的に感知し、そしてその性別によってやや異なる対応(育児)のやり方を行う。」 という現時点での考え方に関連した非常に興味深い研究がなされているのを知りました。 それはカナダの著名なホッキョクグマ研究者であるアンドリュー・ドローシェー (Andrew E. Derocher) 氏とイアン・スターリング (Ian Stirling) 氏の1997年に行われた共同研究である “Maternal investment and factors affecting offspring size in polar bears (Ursus maritimus)” です。これはカナダのハドソン湾西岸で行われたホッキョクグマの親子の生態研究であり、この研究を貫いているのはホッキョクグマの母親が自分の子供の性別と頭数によって “Maternal investment” に違いがあるのかという問題意識です。 この“Maternal investment” というのは英語によって構築されたホッキョクグマの生態研究における概念であり日本語には正式な訳語が存在していません。 この “Maternal investment” が何を意味するかと言いますと、それはホッキョクグマの母親が子供に投じる資源、つまり授乳、育児、教育、外敵からの保護といったことの全てを指すわけです。 この “Maternal investment” を私なりにあえて日本語にすれば「母親の授賦」とでもしておきたいと思います。 以下、「母親の授賦 (Maternal investment)」 と表記することとします。
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ドゥムカお母さんと息子のニッサン 
(2014年9月18日撮影 於 ロシア、イジェフスク動物園)

実はこのアンドリュー・ドローシェー 氏とイアン・スターリング氏の共同研究で明らかになったことを結論から述べますと、「ホッキョクグマの母親は、子供の性別によって『母親の授賦 (Maternal investment』 に大きな違いはないものの、三つ子の場合に限っては雄の子供により多くの『母親の授賦 (Maternal investment』 を与える。」 ということだそうです。 つまり平易に言い直せば、「赤ちゃんが男の子と女の子の双子の場合にはホッキョクグマの母親は分け隔てなく平等に授乳するなどの育児を行うが、三つ子で子供の性別が異なると明らかに男の子の方により多くの恩恵を授ける。」 ということだそうです。 要するに三つ子となれば授乳も含めて育児は非常に大変なわけですが、こういうある意味ではやや切迫した状態ではホッキョクグマの母親は男の子をより重視した育児を行うということになります。 つまり、ホッキョクグマの母親は「男の子だけはどうしても生き延びさせたい」と考えるようです。 英語でこういったことを “Sex-biased maternal investment (母親の授賦の性差別傾向)” と呼ぶようです。 こういった研究結果を導いたデータは勿論ホッキョクグマの親子を一度捕獲して成育状況や健康状態をチェックするという生態研究の方法から得られた多くのデータから導かれた結論なのですが、親子が巣穴から外界に出てきた春の時点では赤ちゃんが一頭の場合 (Singleton) の複数の親子の赤ちゃんの体長と体重、赤ちゃんが双子 (Twins) の場合の複数の親子の場合における赤ちゃんの体長、体重について調査してみると勿論、雄の赤ちゃんと雌の赤ちゃんとの間に若干の差はあるものの、三つ子 (Triplets) の場合になると雄の赤ちゃんと雌の赤ちゃんとの間の体重差、体長差はかなり大きいという結果が出たそうです。 たとえば秋口や二年目となって雄の子供が雌の子供よりも大きいというのならばそれは雄の方が元来は体が大きいということで説明がつきますが、春の段階で双子で性別の異なる場合の二頭の間には見られないものの三つ子の場合にだけ顕著に雄と雌との間で体重差や体長差があるということは、やはり三つ子の場合は母親が雄を重視しているという結論がこの研究から導き出されているということになるそうです。 ということは、やはりホッキョクグマの母親は自分の産んだ子供の性別を早い段階で認識しているという私の仮説の根拠と成り得る研究報告だと思います。 私の仮説の第一段階はほぼ正しいのではないかということがわかったわけですが問題は第二段階で、この研究報告における「母親の授賦 (Maternal investment)」 と、私の考えた「関与性」「非関与性」が何らかの関係があるかどうかということだろうと思います。 これは微妙ですね。 関係があるとすれば、これは具体的事例をどれだけ積み上げていけるかどうかということが課題でしょう。

さて、これはあくまでも赤ちゃんの性別による体重や体長の差を 「母親の授賦 (Maternal investment)」 と結びつけた結論であるわけですが、三つ子の場合の「母親の授賦 (Maternal investment)」 の性別による差をそれ以外の要素で考えてみた場合、実は私は非常におもしろい事例を見ています。 野生下と飼育下では生きていく上での条件の厳しさに大きな差があり単純に比較することは適当ではないことは百も承知で申し上げれば、2011年11月にモスクワ動物園でシモーナが産んだ三つ子は雄二頭、雌一頭だったわけですが、シモーナは明らかに弱い立場の雌(女の子)を格別に大事に育てていたのを私はいくつものシーンで明確に記憶しています。 2012年9月に私が四日間連続して開園から閉園までこのシモーナお母さんと三つ子たちをじっくり観察したことがあり、その時のことを現地からレポートしたことがありました。 旅先でしたので詳しくは書けなかったのですが、そういったシーンを一つだけ書いたことがあります。 女の子(甘えっこちゃん)は男の子(冒険家ちゃんと慎重派ちゃん)のタッグチームに押しまくられていたわけですが、いつも母親であるシモーナは女の子に加担していたわけです。 「シモーナお母さんと三つ子の子供たちの姿 ~ 今日 (9月23日) のアルバムより ~ お元気で!」という投稿でもご紹介していますのでご参照下さい。 まあこれは「三つ子の場合に限っては母親は雄の子供により多くの『母親の授賦 (Maternal investment』 を与える。」 という先の研究報告の結論への反証などには到底なり得ませんが、しかし飼育下となればまた少し状況は異なるということを示す一例にはなるかもしれません。 シモーナは、自分の産んだ三つ子は全て平等に育てていきたいと考えていたことに間違いありません。 男の子を重視したという様子は微塵も見えませんでした。

雄の二頭に奪われて水に沈んだお気に入りのタイヤを必死に取り戻そうとする甘えっこちゃんの雌

(資料)
"Maternal investment and factors affecting offspring size in polar bears (Ursus maritimus)" by A. E. Derocher and I. Stirling (1998 The Zoological Society of London)
by polarbearmaniac | 2015-04-07 23:55 | Polarbearology

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