街、雲、それからホッキョクグマ ~ Polarbearology & conjectaneum


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カテゴリ:しろくま紀行( 843 )

バフィン、偉業を成し遂げつつあるホッキョクグマへの敬意 ~ 運命への本能的な「選択」に宿っていた母性

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このバフィンは私独自の母親のカテゴリーを用いれば「理性型」の母親である。但し今日見ていた印象ではそういった分類では区別できない要素を彼女に感じるようにもなっている。
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彼女が大阪でモモと過ごした日々のうち、展示されていなかった午後における室内での母親としてのあり方は実は飼育展示用で見せていた姿とはやや異なるのではないかという疑問が生じてくる。
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今日見ているとバフィンはモモと体を寄せ合って寝ている時間が結構あった。こういったことは大阪では主に展示されていなかった午後に室内で長い時間行われていたことではないかと思うのである。そしてここ浜松で終日展示となたっために我々の眼の前で行われるようになったのではないかということである。


バフィンのプロフィール - Baffin the Polar Bear's profile, at Hamamatsu Zoo, Japan, on May.19 2017.

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そういった仮定が正しいとすれば、バフィンの母親像には大きな修正を加えねばならない可能性が生じてくる。
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二十歳をかなり過ぎた段階で彼女は残された自分の生き方において、育児を行うことを無意識的に「選択」した形となった。
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一頭で生きていれば楽であるにもかかわらずである。
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しかし彼女はそういった楽な道を本能的ではあれ「選択」しなかった。そこに彼女独特の母性の存在を metaphysical な観点から見ることは難しくはないだろう。
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私はバフィンを過小評価していたことを認めざるを得ない。彼女は大変な母親である。シモーナやララは天性の母親としての素質がある。だから若くして母親となったのである。その点において彼女たちは「情愛型」のタイプの母親となる可能性は非常に大きかったのであるし、事実そうなった。シモーナやララは育児を行うという「選択」をする必要はなかった。何故ならそれは彼女たちにとって自明のことだったからである。ところがバフィンにはそれは自明のことではなかった。バフィンは自分が母親となって育児を行うことを本能的・直観的に選択した。そこにおいてこそバフィンの「理性型」の母親のタイプを見るべきなのだった。私は全く別の視点から彼女を「理性型」と判断したのだが、バフィンが「理性型」である根拠は全く別のところにあっというわけである。
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バフィンの母性は自分の娘に対する具体的な接し方であるよりも、この年齢になって初めて体験することになった育児を行うことを産室内で出産した直後に本能的に「選択」したという、一種の運命的な啓示の存在にこそ認めるべきであろう。こういった母性というものは今までの私の理解の範疇を超えたものである。バフィンこそまさに奇跡のホッキョクグマなのである。彼女は偉業を行いつつあるのだ。大いなる敬意を彼女に捧げたい。
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Nikon D5500
AF-S DX NIKKOR 18-300mm f/3.5-6.3G ED VR
Panasonic HC-W870M
(May.19 2017 @浜松市動物園)
by polarbearmaniac | 2017-05-19 23:30 | しろくま紀行

モモの真っ直ぐな成長 ~ 母親の庇護下での憂い無き率直さ

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間もなく二歳半になるモモである。
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大阪時代のモモと比較して何が変わり何が変わっていないのか? そしてそれは成長とどういった関係があるのか?
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今日見た限りではそれをど多くのものは変わっていないように見える。
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もともとモモは遊び好き(playful)なのだ。
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しかしそういった性格はやはり母親の庇護がってのもののように感じる。


モモの水遊び - Momo the Polar Bear plays in the water, with her favorite toys, at Hamamatsu Zoo, Japan, on May.19 2017.


ブイとの格闘 - Momo the Polar Bear fights hard with buoys at Hamamatsu Zoo, Japan, on May.19 2017.

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モモはシルカと比較すると、おもちゃなどに対しては非常に率直な反応をする。
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誰から与えられるかよりも何をもらえるかに関心が集中している。


モモの遊びのプロフィール - Momo the Polar Bear's profile, at Hamamatsu Zoo, Japan, on May.19 2017.

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モモは母親であるバフィンとの二頭だけでの世界に留まっていられるのは幸せである。モモにはシルカのような「影」の部分が無く、率直で素直な成長を続けている。雌(メス)の幼年個体はなるたけ母親と一緒に過ごす時間の長い方が良いのだという考え方はモモに対しては非常に説得力があるように思える。
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Nikon D5500
AF-S DX NIKKOR 18-300mm f/3.5-6.3G ED VR
Panasonic HC-W870M
(May.19 2017 @浜松市動物園)
by polarbearmaniac | 2017-05-19 23:00 | しろくま紀行

浜松市動物園にゆったりと流れるバフィンとモモの母娘の至福の時間 ~ "Les Ours joyeuses"

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バフィンとモモの母娘に会うのは久しぶりである。
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この親子の関係にどのような変化があったかについて観察してみたい。
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今日は朝から日差しが強くて気温が高い。
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しかし非常にゆったりと時を過ごしている親子である。


ゆったりと時を過ごすバフィンとモモの母娘 - For Baffin and Momo the Polar bears, time goes by very slowly, at Hamamatsu Zoo, Japan, on May.19 2017.

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見ているだけで、ほのぼのとした気持ちになってくる。
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この親子の関係は大阪時代と変わらない。変わったのはモモの体の大きさだけだろう。
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モモはもう少しで二歳半になるがまだ授乳シーンが見られる。これは世界でも同じような事例はいくつもあるので決して不自然なことではない。


Momo, the two and half years old polar bear, gets nursed by Baffin, at Hamamatsu Zoo, Japan, on May.19 2017.

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大阪時代は半日展示だったこの親子だが、やはりバフィンが間合いを測ることによって前日展示への生活のリズムが完全に確立しているようである。
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一日の展示時間が増加したが、その増えた時間の多くをモモはバフィンとのスキンシップに費やすようになったように見える。しかしこれは大阪では彼女たちが昼過ぎに室内に戻ったあとで行われていたことだっただろうと思うのだ。やはりホッキョクグマの親子は半日展示では不十分だったと思う。このバフィンとモモの母娘を観察して真価を完全に見出すことは大阪では完全にはできなかったようにも思う。シルカが来日したために致し方ないことではあったが.....。


Baffin and Momo the Polar Bears are relaxing themselves in the afternoon, at Hamamatsu Zoo, Japan, on May.19 2017.


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今日久し振りに親子を見ていると、まさに至福に満ちた情景と時間がゆっくりと流れていくのを感じた。こういった経験は稀有のことである。
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素晴らしい親子だと思う。シモーナ親子やララ親子に優るとも劣らない心打たれる姿である。
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Nikon D5500
AF-S DX NIKKOR 18-300mm f/3.5-6.3G ED VR
Panasonic HC-W870M
(May.19 2017 @浜松市動物園)
by polarbearmaniac | 2017-05-19 22:00 | しろくま紀行

シルカ (Шилка) の一日 ~ 授与物よりも授与者を重視するシルカと、正反対のララの娘たちとの関係

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すっかりプールの水が交換された今日の天王寺動物園の飼育展示場である。
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シルカ登場。
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まずは飼育員さんの存在の有無を確かめようとするシルカである。
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そうしてから、おもむろに朝に用意されたおやつに向かう。

朝のおやつ - The morning treat for Shilka the Polar Bear, at Tennoji Zoo, Osaka, Japan, on May.17 2017.

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朝からリラックスしているシルカ。
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彼女にとっては急ぐ必要のない毎日である。


シルカの朝の表情(1) - Shilka the Polar Bear's morning profile (1), at Tennoji Zoo, Osaka, Japan, on May.17 2017.


シルカの朝の表情(2) - Shilka the Polar Bear's morning profile (2), at Tennoji Zoo, Osaka, Japan, on May.17 2017.

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しかし飼育員さんの姿は彼女の一日にとっては不可欠なものである。
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素早い反応と行動こそが命である。
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複数のおもちゃを同時に扱おうとするのはシルカの欲求の大きさなのかもしれない。
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おもしろいことに気が付いたのだが、シルカは飼育員さんから投げ入れられたものそのもの自体に必ずしも強く反応するとは限らず、飼育員さんが何かを投げ入れた時に、すでにもうプール上に存在していたものを相手にして遊ぶケースが結構多いということである。
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つまり、シルカはその時に与えられたおもちゃを使って遊ぶというよりも、飼育員さんが何かを投げ入れるという行為を行ったことに対して反応しているということなのだ。このことはつまり、シルカはその瞬間、瞬間に与えられたおもちゃそのもの自体よりも、飼育員さんの行為によって遊びのエンジンが始動するということを意味している。こういったことはララの子供達には全く見られない行動である。ララの子供たちは飼育員さんから与えられたもの、そのものが問題であり、そしてまさにそのものを相手に遊ぶのである。つまりララの子供達にとっては、飼育員さんの姿よりも与えられるおもちゃのほうが重要であるということである。ところがシルカはそうではない。これは実に興味深い話である。徳島のポロロは飼育員さんの姿を見ると喜んでそわそわし始めるのである。その理由は、ポロロはおもちゃやおやつをもらえるという期待からであり、飼育員さんの姿そのものが彼女を喜ばせているというわけではないのだ。ところがシルカはポロロとは期待の対象のベクトルの方向が全く異なるのである。
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私は前任者のシルカの担当者の方のやり方を100%支持する。しかし、あのやり方には「諸刃の剣」といった危険な要素がやはり存在していたと思う。そしてひょっとしたら今になって、あの剣のもう一つの刃が我が身の方向に接近した危険な状態になってきかねない予感を感じないでもない。
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午後のおやつタイムとなった。


午後のおやつタイム - Today's afternoon treat for Shilka the Polar Bear, at Tennoji Zoo, Oaska, Japan,, on May.17 2017.


シルカのおもちゃ遊び - Shilka the Polar Bear enjoys herself with toys, at Tennoji Zoo, Osaka, Japan, on May.17 2017.

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私は段々と複雑な気持ちになってきた。やはりゲルダの育児には問題があったと言わざるを得ない。ゲルダとシルカという母娘の間の関係は複雑だった。私はノヴォシビルスク動物園でそのことに気が付いていた。あの不安定な関係がどこかでシルカが母親から離れて以降も彼女に何らかの形で投影しているように感じるのだ。来日後のシルカに対しては諸々の要素を考慮して格別の配慮が彼女に対してなされた。ところが、そうやって行われたいくつかのことはシルカに対して大いにプラスになったことは間違いないのだが、何か根本的なところで飼育員さんの手では克服できない重要なものが依然として存在しているように見える。それが重大な形で顕在化する不安の影が忍び寄ってきているように私には感じる。
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人工哺育された個体に対してホッキョクグマという種であることを植えつけさせるために「適応化(socialization)」というものが不可欠となっているのは欧米では常識なのだが、最近になって欧州では人工哺育された個体でなくても違った意味での「適応化(socialization)」が志向されてきている。一例を挙げればブレーマーハーフェン臨海動物園のリリーが一歳半でオランダのエメン動物園に移動して同じ年齢層の同性の若年個体と同居を行わせようという試みなどそうである。リリーも母親に問題があったのである。ホッキョクグマはその生態において単独生活を行うのが特性であるというのは事実である。そしてこれはまさに Zoological correctness である。ところが最近の欧州の飼育下のホッキョクグマ(特に若年個体)に対する先進的な考え方では、ホッキョクグマには「遊び友達」を与えるほうが良いという方向に移行しつつあるのである。日本の動物園関係者はこういった傾向についてはまだ知らないと思う。Zoological correctness という「絶対的正しさ」はもう通じなくなってきているのが欧州の先進的なホッキョウグマ飼育の考え方なのだ。そういったことを実践しているのがスカンジナヴィア野生動物公園などをはじめとした先進的な動物園のホッキョクグマ飼育の姿である。
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仮に私がスターリンのような独裁者だったら、思い切ってシルカに対して同じ性別の雌(メス)の若年個体と同居させてみたいと考え、熊本からマルルを有無を言わさず強制的に大阪に移してシルカと同居させるようにするだろう。私は天王寺動物園の飼育員さんがこれからも懸命の努力をし続けるよりも、シルカをララの娘たちと同居させるほうがよいと考える。シルカにとって必要なものは多くのおもちゃ以上に、同じホッキョクグマである同性の他者の存在だろう。多くのおもちゃを与えられ、そして遊んでいるシルカを見ていると私には何かペーソスのようなものを微かに感じるのである。
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人間という存在、特に特定の個人など信じるなというのがララが自分の子供たちに対する教育・育児の方針なのである。これは、ララにはどこかに厳しい環境の自然下における野生のホッキョクグマの母親の本能のようなものが宿っているからである。そしてこれはホッキョクグマとしては正しい教育・育児方針である。ところがゲルダは、自らが人間(来園者)が投げ与えてくれるものを求めるのである。ゲルダにとってはそうすることが育児よりも重要だったのである。ウスラーダは完全にララと同じ考え方である。いや、それどころかウスラーダは特定の個人はもちろんのこと、そもそも人間全般をバカにしていて我々を見下している態度をよく見せるのだ。 ゲルダはララとは非常に異なる母親である。だからゲルダの娘とララの娘は非常に異なる指向を見せるのは当然といってよいだろう。
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私は個人的にはこのシルカはマルル、ポロロ、ミルク、モモなどの同年代の若年個体のどれよりも素質の点で優れていると思っている。ただし、どこかの何かで問題があるとも感じている。そしてそれはやはり母親に起因しているのではないかと考える余地が十分にあるとも思っている。

Nikon D5500
AF-S DX NIKKOR 18-300mm f/3.5-6.3G ED VR
Panasonic HC-W870M
(May.17 2017 @大阪・天王寺動物園)

(*注 - このシルカには日本で新しい名前が付いていますが、彼女のロシアでの誕生から成長、来日、そして日本でのこれからの生活を一貫して捉え、本ブログでは引き続き彼女の名前をシルカ - Шилка - で統一して記載するのを方針としています。)

(過去関連投稿)
・ノヴォシビルスク動物園訪問二日目 ~ ゲルダお母さんとシルカの不安定な関係
・ゲルダの将来への道のりと課題 ~ 一頭の母親と一頭の雌の二役の演技の動機となっているもの
ノヴォシビルスク動物園訪問三日目 ~ "Pour que Gerda et Shilka soient heureuse..."
by polarbearmaniac | 2017-05-17 21:00 | しろくま紀行

シルカ (Шилка)、その成長と抽出された長所のエキス部分 ~ Shilka retrouvée ....

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シルカに会うのは久しぶりである。
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この年齢での一年の成長というのは大きな意味がある。彼女は果たして以前から変わったのか、それとも変わらないのか、このことは興味のある話である。
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このシルカについて、彼女がいったいどういうホッキョクグマであるか(or あったか)という点について何度か自分の考えを述べている。最初は私が初めてノヴォシビルスク動物園で彼女に会った時であり、そして彼女が大阪に移動した後にも何度も述べてきた。しかしつまるところそれは、彼女が外から持ち込まれる刺激に対してどういう反応を示すかということの意味を考えることに非常に近いと私は考えるに至っている。この点について述べたのが「シルカにとっての「おもちゃ」の意味するもの ~ その想像力を引き出す源泉」という投稿であった。
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そういった観点から今日一日彼女を観察していた。
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その結果だが、驚くべきことに彼女の特質、そしてその長所はいささかも色褪せてはいないということだった。
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彼女の遊びは肉体的な動きであるというよりは、外部から与えられたものに対して向き合うときに想像力を働かせ、そして自己とおもちゃとの間の関係についての距離感に意味を与えるといった、非常に高度な感性の動きを見せてくれることである。だから私たちは彼女と共におもちゃとの向き合い方を模索していくことになる。
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つまり、私たちは遊んでいるシルカを見て楽しむのではなく、彼女と共に想像力を働かせて一緒に楽しむのである。こういったことはホッキョクグマの観察にとって得難い体験でもある。たとえば以下のシーンである。平凡に見えるシーンが20分以上も続く。しかしここでシルカは、眼の前にあるおもちゃとどうやって遊んだらよいかを自らの想像力を働かせて考えつつ時間を過ごしていく。おもちゃをいくつも水中に隠しておき、それを一つ一つ取り出しながらどうやって遊びを進めていくかを自ら想像しているシーンである。こういったことは映像ではなかなか伝わらないものなのだ。シルカは非凡なホッキョクグマである。


Shilka the polar bear plays herself with toys, thinking in her own imagination on how to proceed, at Tennoji Zoo, Osaka, Japan, on May.16 2017.

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定例の午後のお楽しみ給餌である。
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Daily afternoon treat for Shilka the polar bear at Tennoji Zoo, Osaka, Japan, on May.16 2017.

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以前の彼女にはもっといろいろな雑多な要素が性格的にも行動的にも見られた。
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しかし現在の彼女には、そういった以前の雑多なものはそぎ落とされ、そして彼女の本質的なものがエキスのように残ったように思える。
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一般的にはこうして本質的な要素が抽出されて結晶した場合、非常に先鋭的で屹立したものとして尖った形で我々に見えてきてしまう傾向がある。
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ところが彼女から浮かび上がってくるものは何かもっと幻想的・思索的な要素である。この矛盾というものが実におもしろいのである。


シルカのおもちゃ遊び - Shilka the polar bear enjoys herself, playing with a toy object, at Tennoji Zoo, Osaka, Japan, on May.16 2017.

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このシルカを観察していると私たちがホッキョクグマを見る眼というものが鍛えられていくことを感じる。
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彼女は実に素晴らしいホッキョクグマである。
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やや気になったことがあった。シルカは今日はやや眼の状態が良くないように感じた。私はホッキョクグマの写真を撮影しても眼が閉じられた写真は全てその場で消去してしまうのであるが、今日のシルカはそうして消去した枚数が多い。特に気になったのは片目だけ閉じた写真が何枚かあったという点である。経験的に間違いなく言えることだが、こういった場合にはホッキョクグマの眼の状態が正常ではない時である。以前この動物園でバフィンの眼の状態が悪くなった時があったが、その時も消去した枚数は非常に多かった。また、以前のピース(今はどうか知らないが)も眼を閉じた写真が非常に多くなったのである。シルカに関しては多分、プールの水が取り換えられる時期にきているため木の枝やらなにやらが水中にあって、そのために水質に問題があるためだろうと思う。さほど心配することはないとは思うが.....。

Nikon D5500
AF-S DX NIKKOR 18-300mm f/3.5-6.3G ED VR
Panasonic HC-W870M
(May.16 2017 @大阪・天王寺動物園)

(*注 - このシルカには日本で新しい名前が付いていますが、彼女のロシアでの誕生から成長、来日、そして日本でのこれからの生活を一貫して捉え、本ブログでは引き続き彼女の名前をシルカ - Шилка - で統一して記載するのを方針としています。)
by polarbearmaniac | 2017-05-16 21:00 | しろくま紀行

よこはま動物園ズーラシアは将来のホッキョクグマ飼育展示をどうするか ~ 「ツヨシ購入」が唯一の道か?

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こうしてツヨシを見ていていろいろなことを考えた。まずズーラシアは今後のホッキョクグマの飼育展示についてどうするのかということである。「今後」とは、つまり「ジャンブイ後」ということである。今のうちから将来を見据えて考えておかなくてはならないわけである。選択肢としては三つあるように思われる。
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A.ホッキョクグマの飼育展示からは撤退する。

B.ツヨシを釧路市から購入して彼女を繁殖に寄与させるべく、
  パートナーの入手も狙う。

C.他園からの預託個体で飼育展示を行う。

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まずだが、これはかつてとくしま動物園が園の方針として公言し選択した道である。かつてシロー(ララ 、ルルの父)が亡くなった時の「お別れ会」で当時の園長さんがそう述べていたのである。「これからはバーレーを大事に飼育していく。」という内容で、その発言の全体からは「バーレー後」というものを全く想定していないことが明らかであった。しかし同園は結果的には札幌からの預託個体であるポロロを受け入れたのである。それから一般的には、動物園で飼育されたいたホッキョクグマが亡くなってしまいその存在が不在となった場合は現在はこのAという選択肢をとらざるを得ないわけである。何故なら国内の飼育頭数が減少しているからである。現時点で名古屋と神戸はこの道への方向を突き進んでいるように見える。

次にだが、これについては最近、ロシア個体の入手に関する私のいくつかの投稿の中で提案したものである。詳しくは以下の投稿を御参照頂きたい。

・ロシア動物園水族館協会(RAZA)が設立 ~ ロシアでモスクワ動物園の主導的地位が一層強まる
・ロシア・ペンザ動物園の新ホッキョクグマ飼育展示場が9月にオープン ~ それが意味する重要なこと
・ロシア・クラスノヤルスク動物園の新飼育展示場計画発表 ~ 欧露の「囲い込み」体制に日本はどう対応するか
・「ホッキョクグマ計画推進会議」が大阪で開催 ~ 将来の方針と海外個体導入の可否は議題と無縁か

は現在、おびひろ動物園が採っている道である。つまり、ララの子供たちの預入先に徹しているわけである。現在は熊本と徳島もこういった形でホッキョクグマを飼育している。
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さて、A、B、Cをそれぞれ少し考えてみたい。

まずAであるが、これは非常に簡単で楽な道である。横浜の人間というのはホッキョクグマを大きな目的の一つとしてズーラシアに行っているようには見えない。だからホッキョクグマの飼育展示から将来撤退しても誰も文句は言わないと思われる。私も文句は言わない。

次にBであるが、ツヨシがもう五歳若ければ、ズーラシアは躊躇することなくこの道を選択すべきであり、そしてそのパートナーとしてツヨシの存在をカードにしてロシア個体の導入を狙うという方法である。しかし現在のツヨシの年齢(2003年12月11日生まれ)ならばこれは微妙である。難しいというべきかもしれない。ロシアから雄(オス)の個体を導入してもその個体は幼年であってツヨシと年齢差がかなりあるからである(ゴーゴ/シルカの場合も年齢差はあったのだが)。そうなると、もっと年齢が上の個体、つまりツヨシと年齢差の小さい個体を導入せざるを得ないのだがロシアにはロスゴスツィルク (Росгосцирк)に所有権のある野生出身の雄のウムカとスネジョークの二頭しか候補はいない。ただし交渉を持っていく有効なルートを見つけるのは難しいと思われる。ブラジルのサンパウロ水族館はこの二頭の購入に失敗しているそうである。サンパウロ水族館は雌(メス)はノヴォシビルスク動物園からシルカを購入し、そして雄(オス)はカザン市動物園が所有しイジェフスク動物園で飼育されていたピリグリム、あるいはこのウムカとスネジョークのどちらかを購入してシルカのパートナーにしようとしたようである。ところがサンパウロ水族館はカザン市動物園、及びロスゴスツィルクとの個体購入交渉に失敗したため、雄(オス)の入手ができないままノヴォシビルスク動物園の故シロ園長とのシルカ入手の交渉を継続したそうである。そこで口を挟んできたのがモスクワ動物園だったのである。モスクワ動物園は故シロ園長に対して「シルカを彼女のパートナーとなる雄のいない施設には売るな。それがEARAZAの方針だ。」と言ってきたのである。これでサンパウロ水族館は大阪に負けたというわけである。ズーラシア(横浜市)はウムカとスネジョークの入手についてはモスクワ動物園に泣き付いても無駄である。この二頭はモスクワ動物園の影響力の範囲外にある個体なのだ。

次にCであるが、これは簡単なようでいて実はそうではないと思われる。先日も述べたのだが、これは日本のホッキョクグマ界において短期・中期的にいったいどういう方針でホッキョクグマの繁殖を試みるかという今後の方針に直結する話だからである。近年行われてきたように国内飼育頭数の維持を図ろうという方針が今後も維持され、そして現在有望な若年個体ペアの繫殖が順調に成功し続けるという二つの要因の存在が不可欠なのだ。要するにCはあまりに不確定要素が大きく、それを将来の方針として決めるというわけにはいきにくい。なにしろ自園で所有権を持つホッキョクグマが一頭もいないという状態を前提としたホッキョクグマの飼育展示の継続はリスクが大きすぎる。
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よって私の意見ではAを選択すべきであると考える。可能な限りジャンブイの健康状態に注意しながら彼を長生きさせるということである。そして「ジャンブイ後」はホッキョクグマ飼育展示から撤退すべきと考える。横浜市民でそれに意義を申し立てる人はいないだろうと思う。
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しかし万が一にでも「何が何でもホッキョクグマの飼育展示を将来も続ける」という方針を採るならば、国内個体の購入を行うこととなる。そうであるならばツヨシが最適の個体だろう。その場合、パートナーが非常に難しい。国内にはいないのである。
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Nikon D5500
AF-S DX NIKKOR 18-300mm f/3.5-6.3G ED VR
(Oct. 5 2016 @よこはま動物園ズーラシア)
by polarbearmaniac | 2016-10-05 23:55 | しろくま紀行

遅れてやってきたホッキョクグマ、ツヨシの黙々とした足取り ~ 「ツヨシの失われた7年」

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ズーラシアにやってきた。大都市にありながらも訪問しにくい動物園なのだ。今日は気温はそう高くはないものの何か不快に感じる湿度である。
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黙々と歩いているツヨシである。
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あの「性別取り違え事件」からもう8年近くになる。あれからツヨシにはいろいろなことがあった。それらのほとんどはツヨシにとって物事がうまく運んだとはいえない年月だった。かくも長き年月を経て彼女はズーラシアにやってきた。
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彼女は「遅れてやってきた」ホッキョクグマなのである。その遅れをもたらせた要因のほとんど全てに対して私は否定的な評価しかできない。
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ツヨシは大事にされていたから遅れてここにやってきたわけではない。
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彼女は大事にされていなかったから遅れてここにやってきたのである。
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世界ではなにしろ次から次へと新しい「意匠」と「衣装」を身に付けたホッキョクグマが現れるが、年齢を経て人々の話題からは遠ざかっていく。あのかつてのロンドン動物園の人気者だったピパラクが、最後は異国ポーランドで忘れられたように亡くなった件などはその典型である。
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しかし、このツヨシはピパラクの運命をたどることにはならないような気がする。ホッキョクグマは年齢を重ねていった場合には、我々は彼らに対してその彼らの年齢相応の接し方と観察の仕方がある。そして彼らの性格や行動が大いにそれに関係してくる。ところが日本のホッキョクグマ界には唯一、この例外の個体が存在している。それが大阪のシルカである。シルカというホッキョクグマは本質的に決して忘却されることのない存在なのだ。
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この世の中のホッキョクグマには本質的に「絵画のホッキョクグマ」、「写真のホッキョクグマ」、「動画のホッキョクグマ」という三種類の存在がある。シルカは「絵画のホッキョクグマ」である。彼女は見ている者の想像力と心に働きかけるのである。だからいつまでたっても新鮮な印象を見ている者に与えるわけである。一方で「動画のホッキョクグマ」とは、その行動に idiosyncratic なものがあるために、それが理由で関心を集めるホッキョクグマである。「動画のホッキョクグマ」は一時期は非常に人気があるが、意外なことに後世からは忘れられる存在になりやすい。何故なら「動画のホッキョクグマ」は語り継がれることを拒否した存在だからである。私にはこのツヨシが「絵画のホッキョクグマ」であるかどうかはまだわからない。ただしツヨシは「動画のホッキョクグマ」ではないことは明らかであると思う。
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このツヨシは貴重な年月を失った。繰り返すが、年月を「過ごした」のではなく失ったのである。しかしそうしたものをなんとか取り返してやりたいと思うのである。このツヨシは本来はウスラーダにとってのシモーナのような存在であるはずなのだ。あの偉大なララの長女が、いったいこれはどうしたことだろう?
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今日は気温は25~26℃ほどではないかと思うが、ツヨシはやや苦しそうである。大気の状態が快適ではなく、何か天候が不安定になってきている。
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Nikon D5500
AF-S DX NIKKOR 18-300mm f/3.5-6.3G ED VR
(Oct. 5 2016 @よこはま動物園ズーラシア)
by polarbearmaniac | 2016-10-05 23:50 | しろくま紀行

バフィンさん、モモさん、お元気で! また浜松でお会いしましょう! ~ 「未完のドラマ」は続く

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私にとっては今日の金曜日が最後の「大阪でのバフィン親子」である。
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モモも力強く成長した。
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しかしこの「大阪でのバフィン親子」というドラマは私にとってはこのモモが主役だったわけではないと思っている。
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最初の頃は非常に危うさを感じさせたものの、己の関心の全てを娘のモモに注ぎ続けたバフィンこそが本当の主役であった。
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「一世一代」の渾身さを育児に感じさせたバフィンである。「美しい」という言葉以外に現在の彼女を形容する言葉は見つからない。

黙想するバフィン (Baffin the polar bear in contemplation at Tennoji Zoo, Osaka, Japan, on Jun.10 2016.) (youtube)
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明らかに「大阪でのバフィン母娘」のドラマが幕を閉じるには潮時のような気がする。バフィンは大きな一つのフェーズを終了させつつある。彼女にとっての人生(Bear's life)は大きな区切りに差し掛かったのである。
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彼女自身がどう考えているかを我々が知るすべはないが、客観的に見れば少なくとも彼女は大きな何かを達成したことに間違いはないだろう。
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力強く成長したモモ。
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遂に母親となり、そしてその役を見事に演じたバフィン。
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この母娘には次のドラマはあるのだろうか?
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いや、そもそも「バフィン母娘」の存在というものは「未完のドラマ」そのものである。
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そしてそれは「大阪のバフィン母娘」というドラマに途切れなく続く永遠のドラマである。それは「祝祭性」にあるのではなく「日常性」に帰結されるホッキョクグマ母娘の姿であろう。以下にまったく変哲もない、毎日繰り返されてきたこの母娘の本日の日常の姿をもって私自身の「大阪でのバフィン母娘」の姿を求める旅の幕を閉じておきたい。「日常性」こそがこの母娘の永遠かつ未完のドラマそのものだからである。

本日金曜日昼のバフィン母娘の一コマ (Baffin and Momo the polar bears, around Friday noon at Tennoji Zoo, Osaka, Japan on Jun.10 2016.) (youtube)
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バフィンお母さん、モモちゃん、お元気で! また浜松でお会いしましょう!
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Nikon D5500
AF-S DX NIKKOR 18-300mm f/3.5-6.3G ED VR
Panasonic HC-W870M
(Jun.10 2016 @大阪・天王寺動物園)

天王寺動物園ホッキョクグマ親子旅立ちへ 飼育員の熱き思い
(Mr.Shimomura of Tennoji Zoo talks about his days with Baffin and Momo, on their leaving Osaka for Hamamatsu)
by polarbearmaniac | 2016-06-10 22:30 | しろくま紀行

シルカ (Шилка) の木曜日。光沢を持った柔らかさ ~ 「心で感じるホッキョクグマ」の魅力

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シルカさん、こんにちは! 今日は暑いですね。
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このシルカは全く素晴らしい若年個体である。
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世界のホッキョクグマ界では最高の存在である「ホッキョクグマ親子」というものの姿のあとで交代展示で午後から登場しても、決してそれに引けを取らないほどの魅力を放っているからである。今まで世界の動物園で「ホッキョクグマ親子」の姿の横にいてその存在に対抗できた個体はレニングラード動物園のメンシコフだけである。いかにシルカが素晴らしい存在であるかが、わかろうというものである。
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このシルカの魅力について私は以前に「シルカ(Шилка)、その成長の軌跡 ~ 来園者の心の中に「物語」を作り出す稀有のホッキョクグマ」、及び「シルカにとっての「おもちゃ」の意味するもの ~ その想像力を引き出す源泉」という二つの投稿で述べた通りである。
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私がこのシルカが素晴らしく感じる最大の理由は、彼女は「目で見るホッキョクグマ」ではなく「心で感じるホッキョクグマ」だからである。
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シルカのように「心で感じるホッキョクグマ」は日本のホッキョクグマ界には今まで存在しなかったであろう。

シルカにおもちゃのプレゼント(Shilka gets a toy at Tennoji Zoo, Osaka, Japan, on Jun.9 2016) (youtube)
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シルカの存在は我々にとってのホッキョクグマ体験の幅を広げてくれるのである。
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シルカに魚のプレゼント (Shilka gets treat of live fish, at Tennoji Zoo, Osaka, Japan, on Jun.9 2016.) (youtube)
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その魅力は「光沢を持った柔らかさ」にもある。
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さすがにロシアのホッキョクグマは素晴らしい。
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今日は暑い一日である。
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雨模様の天気予報だったのだが晴れてしまった。

Nikon D5500
AF-S DX NIKKOR 18-300mm f/3.5-6.3G ED VR
Panasonic HC-W870M
(Jun. 9 2016 @大阪・天王寺動物園)
by polarbearmaniac | 2016-06-09 23:55 | しろくま紀行

バフィンとモモの木曜日、楽しみと安らぎの時間 ~ 「共感度」という座標軸での高得点

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今日は木曜日、「大阪のバフィン親子」の姿に残された時間は非常に少ない。
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しかし私個人としては大きな寂しさというものはあまり感じない。今回は世界のホッキョクグマ界においてもその実例が非常に少ない親子の同時・同一動物園への移動だからである。
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バフィンにとっては娘のモモを連れての浜松帰還は、実は輝かしい「凱旋帰園」を意味するわけである。しかし大阪のファンの方々の中には非常に悲しい気持ちでこの親子の大阪よりの出発を見守る方々もいらっしゃるだろう。
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しかし担当飼育員さんはブログでこの親子とシルカとの交代展示などについて、もうソフト面では限界であると述べている。もう「潮時」なのかもしれない。
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昨日そして今日と、このバフィン母娘には何か特別に濃密な時間が流れているようにすら感じる。そこには何か「楽しみ」と「安らぎ」を感じさせるものがある。

バフィンとモモへのおやつとおもちゃのプレゼント (Baffin and Momo the polar bears get some treats and toys, at Tennoji Zoo, Osaka, Japan on Jun.9 2016) (youtube)

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バフィンお母さんも今日はよく水に入った。
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バフィンお母さんは体調は悪くはないようだ。

バフィンとモモ、母娘の水遊び (Baffin and Momo, the polar bears enjoy themselves together in the water, at Tennoji Zoo, Osaka, Japan, on Jun.29 2016) (youtube)

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バフィンは母親としての貫録が増した。
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世界の飼育下のホッキョクグマの雌(メス)は、繁殖に成功した個体よりも成功しなかった個体の数の方が多い。私はホッキョクグマの雌が繁殖に成功せず育児体験も持てなかった個体が価値が低いなどとは毛頭考えてはいない。しかし繁殖に成功した雌は特別の賞賛を与えてやってよいと考えている。
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ホッキョクグマ、二つの姿 - 休むバフィンと遊ぶモモ (Two lives of the polar bears - Baffin resting, Momo playing, at Tennoji Zoo, Osaka, Japan on Jun.9 2016.) (youtube)

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以前に述べたが、ホッキョクグマの母親の育児スタイルを評価するのには複数の座標軸が存在している。そういった複数の座標軸の中の一つには、やはり育児技量といった比較評価の座標軸が入ってくることも間違いないのである。ホッキョクグマの母親というのは実は序列社会なのである。しかしこのバフィンについては、その「高齢繁殖(出産+育児)」成功という勲章があるために、そういった相対評価を免れているのだと私は考えている。
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仮に「共感度」という評価の座標軸があるとすれば、このバフィンは非常に高い得点が付くだろう。
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このモモについて大阪の地元ファンの方でお顔を良く存じ上げている方から質問された。その内容をかいつまんで言えば、このモモの「お転婆度」は他の個体と比較してどの位かという質問だった。
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私は「平均レベルでしょう。モモはこれからどういうように変わっていくかは未知数です。」と自分の意見でお答えしたところ、その方は「安心しました。」という私にしてみれば意外な反応だった。その方は「モモちゃんがこんなにお転婆だったら将来母親になれないだろう。」と心配していらっしゃったようである。だから、他の幼年個体と同レベルだと私が答えたことに安心されたということのようである。
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このモモというのは未知数である。これからどうにでも変わっていくホッキョクグマだと思っている。
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いよいよ大阪でのこのバフィン母娘の姿が見られなくなる時が迫っている。
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見事に成長を遂げつつあるモモである。
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この案内も残すところ、あと二日間だけである。
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Nikon D5500
AF-S DX NIKKOR 18-300mm f/3.5-6.3G ED VR
Panasonic HC-W870M
(Jun, 9 2016 @大阪・天王寺動物園)
by polarbearmaniac | 2016-06-09 23:45 | しろくま紀行

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