街、雲、それからホッキョクグマ ~ Polarbearology & conjectaneum


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フィルハーモニーでベルリンフィルハーモニー管弦楽団 (Berliner Philharmoniker) の演奏会を聴く

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今夜はサイモン・ラトル指揮のベルリンフィルハーモニー管弦楽団 (Berliner Philharmoniker) のコンサートを聴くことにする。
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(*本当はホール内部の写真を撮ることはできないことになっているのだが、演奏者は撮らないということで、まあご容赦願おう。)

今夜のコンサートは29,30,31日の3回繰り返される」コンサートで、最終日はジルヴェスターコンサートのため日本でも生中継で見ることができる。
(曲目)
Jean-Philippe Rameau
Dances Suite from Les Boréades
George Frideric Handel
"Scherza in mar la navicella", Aria of Adelaide from Lotario
George Frideric Handel
"Ah che sol ... Mʼadora lʼidol mio", aria of Agilea from Teseo
Jean-Philippe Rameau
Gavotte and Entr'acte from Les Boréades
George Frideric Handel
"Lascia la spina", aria of Pleasure from Il Trionfo del Tempo e del Disinganno
Antonín Dvořák
Slavonic Dances in C major op. 46 No. 1, in D flat major op. 72 No. 4 and in A flat major op. 46 No. 3
Maurice Ravel
Daphnis et Chloé Suite No. 2
Johannes Brahms
Hungarian Dance No. 1 in G minor

Berliner Philharmoniker
Sir Simon Rattle (Conductor)
Cecilia Bartoli (Mezzo-Soprano)

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休憩時間。
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ラヴェルの「ダフニスとクロエ」は圧巻だった。 実に輝かしい演奏である。
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(Dec.30 2012 @ベルリン)
by polarbearmaniac | 2012-12-31 07:50 | 異国旅日記

「涙の宮殿 (Tränenpalast) 」で甦った東西分断時代の検問所の記憶  ~ 心の中で流した涙

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フリードリヒ通り駅の北側に「涙の宮殿 (Tränenpalast)」 という建物がある。
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ここはかつての分断時代には東ベルリンから西ベルリンに戻る際の検問所があった建物である。
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現在ではその当時の検問所についての展示がなされている一種の記念館になっているのである。 この展示場に入るのは初めてである。
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かつての検問所の出国審査ブースが残されている。
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このブースの前に一人一人立たされたのである。 ガラスの向こう側に出国審査官が座っていて厳しくパスポートとヴィザのチェックを行った。
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ようやく審査が終わるとこの扉のロックが解除されたのである。 このドアを押して出るのだが、かつてのあの時の音と手の感触が現在もこうして生々しく再現できた。 昔の音の記憶がはっきりと甦り、頭がクラクラしたほどだった。 この音と手の感触を再体験しただけでも今回ベルリンに来た甲斐があったとさえ思ったほどだ。
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そしてここから西ベルリンに向かうSバーンやUバーンへの連絡通路に出たのであった。 私はいったい何度ここを通ったことだろう! 昔の記憶、それも甘酸っぱい記憶、苦々しい記憶が一気によみがえってくる。
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かつての検問所に関するいろいろな展示がなされている。 これらはかつて東西ベルリンの検問所を実際に通った者しかその意味はわからないだろう。 今の若い人に何を説明しても無駄だと思う。 あの時代のベルリンを知らない人にどう説明してもわかってもらえないだろう。 まさにここは「涙の宮殿 (Tränenpalast)」 という名前がピッタリなのである。 ここを通過した者はみんな、多かれ少なかれ心の中で涙を流していたのである。
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私が何故あの分断時代に何度も検問所を通って西ベルリンから東ベルリンに行っていたかは私事に係ることなのでここでは書かない。
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このフリードリヒ通り駅ほど私にとって思い出深い場所はベルリンにはほとんど無いほどである。
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Nikon D5200
AF-S DX NIKKOR 16-85mm f/3.5-5.6G ED VR
(Dec.30 2012 @ベルリン)
by polarbearmaniac | 2012-12-31 07:30 | 異国旅日記

ポツダム広場からライプツィヒ通り、そしてフリードリヒ通りを歩く ~ 東西分断時代の記憶

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今日の散策の始点はポツダム広場である。 ここは戦線はベルリンの繁華街であったが東西分断時代には東西の境界線にあったために無人地帯となっていた。壁崩壊後に都市計画によって高層建築がいくつも建てられた。 そのために戦前の記憶をい残すものはほとんどないのである。
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ポツダム広場からライプツィヒ通りを東に向かう。 今でもかつての東ベルリン地区に入ると、風景が多少異なってくるのは興味深い。
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ライプツィヒ通りがウィルヘルム通りに突き当たる手前に連邦財務省の建物がある。
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その建物にはかつての東ドイツ(DDR) 時代に描かれた壁画がある。 これは社会主義を賛美するプロパガンダなのである。ドイツ統一後もこの壁画は消されることなく存在している。
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この壁画もドイツ史の貴重な記念物であるということだろう。
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ライプツィヒ通りはやがてフリードリヒ通りと交差する。 今度はフリードリヒ通りを南に歩くことにする。
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これはかつての東西ベルリンの検問所として有名だった「チェックポイント・チャーリー」があった場所である。
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これは「チェックポイント・チャーリー」の旧西ベルリン側から旧東側を見たところである。 私は分断時代にこの検問所を通った回数はそれほど多くはない。 もう一つの検問所であったフリードリヒ通り駅の検問所を非常に多く利用していたからだ。
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東ドイツで造られていたトラバントが駐車していた。 観光用のものである。 なつかしい車である。
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「チェックポイント・チャーリー」の近くにかつて存在していた壁の一部が展示されている。
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フリードリヒ通りを北に戻って途中から東に少し歩いたところにドイツ教会がある。
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その向かい側にあるのが有名なチョコレート店であるファスベンダー&ラウシュである。ベルリンのお土産はここで買うに限る。
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ジャンダルメンマルクトに進むとフランス教会のドームが見える。 ドイツ教会とよく似ているのである。このあたり一帯は私が初めて東ベルリンに来た35年ほど前の東ドイツ時代には戦争の傷跡が生々しくて廃墟のような光景であった。
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再びフリードリヒ通りに戻ってさらに北に歩く。 この通りには戦前からの古い建物は少ないのである。 それは戦争による被害が大きかったためである。 しかしいくつかは貴重な建物が残っている。
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これはフリードリヒ通り駅である。
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東西分断時代にはこの駅の中に検問所があった。 西ベルリンからSバーンやUバーンでこの駅に到着して検問所を通るとこの場所から東ベルリンの街に出たのである。
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一度、駅の構内に入って、分断時代の検問所通過のあとに東ベルリンの街に出る光景を再体験してみる。 この通路から待ちに出たのである。
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フリードリヒ通りを挟んで向かい側にはかつての時代を偲ぶレトロなロゴが見える。
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このフリードリヒ通り駅、本当に思い出深い駅なのである。 私のいろいろな記憶がこの駅の思い出に刻まれているのだ。
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フリードリヒ通り駅の斜め向かい側に知る人ぞ知るアドミラルパラストがある。この周囲では珍しく戦災を免れた劇場なのである。 1946年4月に当時のドイツの社会民主党と共産党がこのアドミラルパラスとで会議を行って一つの政党に統一することになったのだ。 その政党がドイツ社会主義統一党である。 これが東ドイツの政権政党になったのである。
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クラシック音楽ファンならば、あのフルトヴェングラーがベルリンフィルと敗戦直前の1945年1月に演奏会を行ったのがこのアドミラルパラストであることは良くご存じであろう。
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このアドミラルパラストも東ドイツ時代は非常に地味な劇場だったが東西統一後は改修がなされてこのようにきらいな劇場に整備されている。

フリードリヒ通りはさらにこの北側にも興味深いものがいくつもあるのだが、今日の散策はここまでにしておいた。

Nikon D5200
AF-S DX NIKKOR 16-85mm f/3.5-5.6G ED VR
(Dec.30 2012 @ベルリン)
by polarbearmaniac | 2012-12-31 07:00 | 異国旅日記

夜のブランデンブルク門とポツダム広場周辺を歩く ~ 激動のドイツ近代史の現場を巡る

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ベルリンのシンボルの一つであるブランデンブルク門。
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ブランデンブルク門から東に伸びている大通りがウンター・デン・リンデンである。 遠くにアレクサンダー広場にあるTV塔が見える。
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ウンター・デン・リンデンに面しているのが有名なホテルであるアドロンである。 前回はここに滞在したのだが実に素晴らしいホテルだった。ただしそれなりの金額を払う必要がある。今回もここを予約しようとしたのだが満室だった。
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ゲルトルート・コルマル通りに入る。
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ここはかつて首相官邸から伸びた総統地下壕のあった場所である。その当時の様子の解説版がある。
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アドルフ・ヒトラーは愛人であるエヴァ・ブラウンと伴にドイツ敗戦を目前にここにあった地下壕の一室で自殺した。
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ヒトラーの部下たちは彼の遺体を地上に運び、140 リットルものガソリンを使用して、まさにこの地点で遺体を焼却したのである。左側の木がその地点を示しているのだが、目印などはあえて付けられていないから知る人ぞ知る木なのである。 私は以前に昼間にこの木の写真を何枚か角度を変えて撮ったことがあるが、通りがかった人々は奇妙に思ったようだ。 ところがたった一人のドイツ人だけは私にウィンクをしたのであった。この木の植えられている地点にはごく少数の人間だけでの暗黙の了解があって、この木が植えられている場所の意味を知っているごく少数のドイツ人は絶対にそれを言葉に出して喋ったりはしないようだ。 非常にデリケートな問題なのだろう。
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ここがまさしくアドルフ・ヒトラーの終焉の場所なのである。 彼の肉体はここで朽ちたのである。 夜来てみるとやはり一層不気味である。
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すぐそばにはホロコースト記念碑がある。数多くの石碑がまるで沈黙しているかのように並んでいる。実に異様な風景である。 目印のない一本の木と物言わぬ多くの石碑...この強烈な対比のインパクトこそ激動のドイツ近代史が我々に視覚として否応なしに迫ってくるのである。
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ポツダム広場にやってきた。
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ポツダム広場駅にはかつてベルリンを分断していた壁の一部が展示されている。
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かつてこのポツダム広場はベルリンの繁華街であったが壁によって東西に分断されていた時代(1961 - 1989)には無人地帯になっていた。 かつてからあって戦災を免れた建物の一部はこうして保守され、新しい建築群の中に取り込まれてく生まれかわっている。
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ポツダム広場は壁崩壊後に生まれ変わった。 新しい都市計画によって建物がどんどんできたのである。 その一つがソニーセンターである。
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これは私のお気に入りのレストランである。
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かつて隆盛を極めたソニーも今ではもがき苦しんでいる。 栄枯盛衰といったところであろうか。
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この黄色い建物はベルリンのコンサートホールであるフィルハーモニーである。 ベルリンの東西分断時代には壁のすぐそばに建っていた。 かつての私はいったい何度このフィルハーモニーに通ったことであろうか。
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ホテルに戻ってきた。 3年振りの夜のベルリン散歩は心地よかった。冬の夜風すら爽快に感じる。

Nikon D5200
AF-S DX NIKKOR 16-85mm f/3.5-5.6G ED VR
(Dec.29 2012 @ベルリン)
by polarbearmaniac | 2012-12-30 09:00 | 異国旅日記

モスクワから乗り継いでベルリンへ ~ 3年ぶりのベルリンの空気

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成田・モスクワ間のアエロフロートではビジネスクラスには初めて乗る。 単にモスクワだけに行くのだったら今まではほとんどJALを利用してきた。
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ウェルカムドリンク。
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モスクワまでは9時間50分のフライトだ。
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アエロフロートのビジネスクラスは食事のボリュームがあって素晴らしいのである。 
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これはメインディッシュだが、その前に出てきたスープやサラダもたっぷり量があるのだ。 最近はどの航空会社も機内食に手を抜いているのだがアエロフロートはそういう感じはしない。
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ハバロフスク上空である。今日は天気が悪くて地上の景色は見えない。 ハバロフスク動物園のゴシは元気でやっているかな?
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定刻通りにモスクワのシェレメーチェヴォ国際空港に到着。
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さすがに外は寒そうだ。
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モスクワのシェレメーチェヴォ国際空港から今度はベルリンに向かう便に乗ることにする。 この空港のターミナルDは実に素晴らしい。 このターミナルDでの乗り継ぎは実にスムーズなのだ。
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モスクワから2時間半でベルリンのシェーネフェルト空港に到着。
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3年振りのベルリンである。
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今回はポツダム広場近くのこのグランド・ハイアット・ベルリンを宿泊先に選んだ。
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部屋でのネットは無線LANであるが回線速度はそう早いともいえない。 とにかくベルリンに到着してホッとした。

(Dec.29 2012 @ベルリン)
by polarbearmaniac | 2012-12-30 07:30 | 異国旅日記

年末年始は欧州のメトロポリスへ ~ 過去と現在の時空間をさすらう旅

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現在成田国際空港の第一旅客ターミナル内ラウンジです。 日本の年末・年始が大の苦手な私は今回も正月は海外で過ごすことになります。 前回の何末年始はイタリアのフィレンツェを中心にしてトスカーナ地方を巡りましたが今回は全く性格の異なる場所に行きます。 今回はアエロフロート・ロシア航空にてまずモスクワのシェレメーチェヴォ国際空港に向かうことにします。 しかしモスクワは今回の旅の最終目的地ではありません。 モスクワからの便に乗り継いである街に向かいます(ロンドンではありません)。 その街にはかつては政治的な緊張があり、そういった緊張によって欧州の近代・現代史の重要な舞台となった街です。 私個人にとっても過去に掛け替えのない体験をした思い出深い街であり、私は現在でも政治、芸術、文化、歴史に多彩な面を持つその街を愛して止みません。 その欧州の重要なメトロポリスを時間を超えてさすらう旅...そうありたいと願っています。 動物園を訪れホッキョクグマに会うための訪問は3園を予定していますが、何曜日にどこに行くかは決めていません。

旅行中にホッキョクグマについての重要なニュースがあればもちろんそれを投稿するつもりです。 男鹿と札幌のことは気になりますがクルミとララに全面的にまかせる以外に人間は手の出しようがありません。 そう考えれば幾分かは気が楽になるといったところです。

今年も一年、当ブログをご訪問いただいた皆様には厚くお礼を申し上げます。 ありがとうございました! また来年、今度は今までとはやや違う趣向で世界のホッキョクグマの生きている姿を投稿し皆様と情報を共有できればできればと願っています。

モスクワまでの飛行時間は成田離陸後、約9時間50分です。 モスクワからまた別便に乗り継ぐこととなります。 では皆様、、よいお年をお迎えください!

(Dec.29 2012 @成田国際空港、第一旅客ターミナル内ラウンジ)
by polarbearmaniac | 2012-12-29 12:20 | 異国旅日記

イタリア・ファザーノ、サファリ動物園でホッキョクグマの双子の赤ちゃん誕生!

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マリッサお母さんとパートナーのフェリックス
Photo(C)Corriere della Sera/Zoosafari di Fasano

イタリア・ファザーノのサファリ動物園(Zoosafari di Fasano)より正式な公表がありました。 聖夜の12月24日の夜にマリッサお母さんがホッキョクグマの双子の赤ちゃんが出産したそうです。 このファザーノのサファリ動物園は言うまでもなく上野動物園のデアの生まれたところであり、今回の双子の赤ちゃんはデアの妹か弟になるわけです。 このマリッサお母さんというのは過去に3度出産に成功しており、そのすべては雌でした。 先日もご紹介していますが、最初は2003年生まれの現在コペンハーゲン動物園で飼育されているノエル、そして次に2006年生まれのミュンヘン・ヘラブルン動物園のジョヴァンナ、そして2008年生まれの上野動物園のデアです。 今回の双子の赤ちゃんの性別はもちろんまだ不明ですが、その判明の日が待ち遠しく思います。また雌だったとすればこれは大変な話となるでしょう。 最近は雄の誕生が多い世界のホッキョクグマ界ですが、その中にあってマリッサお母さんは着実に雌を生んできた実に頼もしいお母さんです。

クリスマスイヴに実におめでたい話であったわけです。 前回も「イタリア・ファザーノ、サファリ動物園での2008年産室内映像を振り返る ~ デア (現 上野動物園)の誕生」という投稿でご紹介していますが、直接産室内をチェックするなどということはやめていただきたく思います。 今回の出産に関して産室内にモニターカメラが新しく設置されているのかどうかはわかりませんが、どうも音での確認であることを匂わせる表現のように感じます。
(成田空港にて記す)

(資料)
Zoosafari di Fasano (Facebook)
Nuovo Quotidiano di Puglia (Dec.27 2012 - Lieto evento allo Zoosafari di Fasano, Nati due cuccioli di orso polare)
ANSA (Dec.27 2012 - Due orsi polari nati in Zoosafari Puglia)
Corriere della Sera (Dec.27 2012 - Zoosafari di Fasano: a Natale nati 2 orsetti)
Sudnews (Dec.28 2012 - A Fasano il regalo più bello sono due orsetti polari)
Puglia News (Dec.27 2013 - FASANO, SONO NATI DUE CUCCIOLI DI ORSO POLARE ALLO ZOOSAFARI. MAMMA ORSA E’ MARISSA)

(過去関連投稿)
イタリア・ファザーノ、サファリ動物園での2008年産室内映像を振り返る ~ デア (現 上野動物園)の誕生
by polarbearmaniac | 2012-12-29 10:30 | Polarbearology

今年2012年の日本のホッキョクグマ界を振り返って ~ 真の 「開国」 となるか?

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ララとアイラ (2012年1月24日撮影 於 札幌・円山動物園)
Nikon D5000
AF-S VR Zoom-Nikkor 70-300mm f/4.5-5.6G IF-ED

今年も押し詰まってきました。 今年2012年の日本のホッキョクグマ界を振り返ってみたいと思います。 男鹿水族館のクルミが初めて出産に成功したという以外にとりたてて今までの年と変わったことはなかったわけですが、それは従来の懸案は懸案として存在し続けている状況にさほどの変化がないということを意味します。

今まで日本のホッキョクグマ界は世界のホッキョクグマ界とは隔絶した状態にあったわけで、海外の動物園における傾向が日本の動物園に影響を与えたということはほとんどなかったと言えます。 以前、「ホッキョクグマの繁殖計画、飼育環境整備、そしてその後に来るべき新しいフェーズについて」という投稿でこれからの動物園におけるホッキョクグマの飼育展示が向かうであろう新しい方向性、世界的な潮流について考えを整理したことがありましたのでまずはそれをご参照いただきたく思います。 それは以下の三つのフェーズでした。

①飼育下におけるホッキョクグマの繁殖計画 (Breeding Program) の設定による自然繁殖の増進

②飼育下におけるホッキョクグマの生活環境の向上 (Better Welfare) のための施設整備

③自然下のホッキョクグマの保護のための補完的役割を担う動物園 (Zoo as a Conservation Center for Polar Bears)


現在欧米の主要な動物園の多くはこの②の段階を終えつつある段階です。 そして次に③に向かう道を見出そうかという段階でしょう。 この③は飼育個体の減少に悩む北米の動物園が規制を突破して野生個体を自らの施設に導入したいという狙いを「ホッキョクグマの保護」という大義名目との間で何らかの整合性をとろうとした無理やりの理屈付けとも解することは十分に可能ですが、これはかなりcynical な見方かもしれません。欧州では①および②に成果を上げてはいますが、現在はまだ③の視点はないようです。 あるいは③については今後も考えない可能性もあります。

ホッキョクグマの飼育に関して世界の潮流とは隔絶していた日本ではありましたが、それが打ち破られる兆しが見え始めています。 その最たるものはドイツのハノーファー動物園とホッキョクグマの個体交換を狙って接触した札幌・円山動物園の例でした。同園では以前、イコロとキロルの誕生後にもこの個体交換を狙ってEAZA の EEP におけるホッキョクグマ担当のコーディネーターとの接触を試みたことがあったわけですが、その際には上記の三つのフェーズのうちの①が日本において欠落していることを指摘されたはずです。 今回のハノーファー動物園との接触では②の欠落を指摘されたものと理解します。 これは同園での「新ホッキョクグマ館」を建設する計画を前進させる動機になったことを意味します。 つまり日本の動物園も否応なしに欧米におけるこういった各フェーズ(①を経て②)の課題に適応せざるを得ない状況になったということです。 これはすでに上野動物園が新しい個体を海外から入手しようとしてまずは手始めにモスクワ動物園に接触し、それと並行して新しいホッキョクグマ飼育展示場を建設する際にもその重要な動機になったことでもありました。 しかしこの今年のハノーファー動物園と円山動物園の件は日本のホッキョクグマ界の本当の意味での「開国」に繋がる可能性のある重要な出来事だったといえましょう。 クルミの初出産やララの再度の双子出産は確かに大きな出来事ではありましたが、それよりも「開国:に向けた流れができてきつつあるいうことが今年もっとも注目すべき出来事だったと考えます。

こうして新しいホッキョクグマ飼育展示場を建設する意向を示している札幌・円山動物園、、そしてすでに「極地海洋ゾーン」の計画の概要を発表している大阪・天王寺動物園は北京動物園の新しい施設である「ホッキョクグマ展区」よりも飼育環境が決して下回ってはならず、むしろ世界の名だたる施設と肩を並べるだけの広さと飼育環境を実現さねばならないように思います。

(資料)
大阪日日新聞 (Ju.20 2012 - 自然環境に近い状態に 天王寺動物園リニューアル計画)

(過去関連投稿)
ホッキョクグマの繁殖計画、飼育環境整備、そしてその後に来るべき新しいフェーズについて
ドイツ・ハノーファー動物園と個体交換交渉を行った札幌・円山動物園 ~ その背景を読み解く
秋晴れの北京動物園へ ~ 遂に待望のホッキョクグマたちとの再会!
北京動物園の将来繁殖が期待される若年ペアの様子、そして新ホッキョクグマ展示場の概要
by polarbearmaniac | 2012-12-28 13:00 | Polarbearology

アルゼンチン・ブエノスアイレス動物園のウィネル、真夏の気温上昇による高熱症で亡くなる

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亡くなったウィネル
Photo : Zoológico de Buenos Aires /Télam

年末になって大変に残念で悲しいニュースが南米のアルゼンチンから流れてきました。 アルゼンチンのブエノスアイレス動物園 (Zoológico de Buenos Aires) の発表によりますと同園で飼育されていた16歳の雄のホッキョクグマであるウィネル(Winner) が火曜日の25日に亡くなったとのことです。 南米は今が夏の真っ盛りで、ここのところ暑い日々が続いていたそうですが月曜日には最高気温が36.7℃を記録したそうで、ウィネルの死はそういった暑さが原因の高熱症 (hyperthermia) の可能性がきわめて高いという獣医さんの見解も報道では引用されています。 またその前日はクリスマスイヴのため、夜に花火が多く打ち上げられ、そういった音もストレスとして非常に神経質な性格であった彼の死の要因となったであろう可能性にも触れています。 高温とストレスによって体温を調整する機能が不全になったことが高熱症を引き起こしたということのようです。 この動物園の飼育展示場は新旧2つのスペースがあるようで、ウィネルは古いほうの展示場で亡くなったようです。 獣医さんが動かなくなっているウィネルのもとに駆け付けた時には彼はもう亡くなっていたとのこと。 ウィネルの死を伝えるニュース番組をご覧ください。







このブエノスアイレス動物園のホッキョクグマ展示場がどんな環境なのかは今一つよくわかりませんが、ウィネルの亡くなった古いほうのスペースでは直径が2.5メートルほどのプールしかなく、十分に体を冷やすことができなかった可能性についてもマスコミが報じています。
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ウィネル Photo(C)AP/Natacha Pisarenko

ホッキョクグマは飼育下においては意外に暑さには耐える動物であるようにも思いますが条件と環境次第ではやはりいつもそうとは限らないということでしょう。 今回のウィネルは本当に可哀想なことをしました。 下に生前のウィネルの姿をご紹介しておきます。2番目のものはアルゼンチンの方が今回のウィネルを知って急遽まとめられた映像集です。 ここで映っているのは広くて新しいほうの展示場ですね。





それから実に奇妙なことがあります。 マスコミは今回亡くなったウィネルがブエノスアイレス動物園での最後のホッキョクグマであると報じています。 しかし私はかなり以前に「アルゼンチン・ブエノスアイレス動物園の美しく老いたるペア ~ ホセファとボティハへの声援」という投稿でこの動物園の2頭の老ホッキョクグマについて投稿したことがありました。この2頭のホッキョクグマはすでにもう亡くなってしまっていたのでしょうか? 亡くなっていてもおかしくない年齢ではありますが、そういった報道記事は簡単に調べてみた限りでは見当たらないようにも思います。 もう少し詳しく調査してみることとします。

謹んでウィネルの冥福を祈ります。

(資料)
Zoológico de Buenos Aires (Facebook)
Univision Noticias (Dec.26 2012 - El único oso polar del zoológico de Buenos Aires murió por el excesivo calor)
Lanacion.com (Dec.26 2012 - Murió Winner, el último oso polar del Zoo)
Clarín.com (Dec.26 2012 - Por el calor y la pirotecnia, se murió el oso polar del Zoo porteño)
minutouno.com (Dec.26 2012 - Murió el oso polar del Zoo por el calor sofocante del lunes)
ABC.es (Dec.26 2012 - Muere el último oso polar del zoo de Buenos Aires)
BBC Mundo (Dec.26 2012 - Muere de calor el oso polar del zoológico de Buenos Aires)
The Windsor Star (Dec.26 2012 - 'Winner,' the last polar bear at Buenos Aires zoo, dies during heat wave)

(過去関連投稿)
アルゼンチン・ブエノスアイレス動物園の美しく老いたるペア ~ ホセファとボティハへの声援
by polarbearmaniac | 2012-12-27 12:00 | Polarbearology

Polar Bear of the Year (2012)

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クルミ (2012年3月10日撮影 於 男鹿水族館)
Nikon D7000   Tamron 18-270mm F/3.5-6.3 Di II VC PZD

今年もタイム誌にあやかって今年の日本のホッキョクグマ界で最も活躍したり話題になったりした日本のホッキョクグマのPolar Bear of the Year (2012) を選ぼうと思います。 昨年はララとアイラの母娘を選んでいます。

例年もそうですが今年も選択は意外に難しいです。 それに加えてまだ産室に籠っているものの出産のニュースが流れていないホッキョクグマもいます。 候補としてまず筆頭に考えたのがララです。 2月にアイラと別れたものの再びデナリと繁殖行為があり、そしてまるで当然のごとく期待通りに12月に双子を出産しています。不確定要素があまりにも大きいホッキョクグマの繁殖において、まったく危なげなく出産まで至るというのは実に大変な話です。 ただしかしララはすでに2009年と2011年に選んでいますので今年もとなると少し偏ってしまいます。 次の候補としてデナリも頭に浮かびます。 ララ、キャンディとの繁殖行為を行い、そして彼にとっては新しい居住空間でファンサービスを見事にこなしています。 しかしデナリもすでに2010年に選んでいますので、やはり今年もとなると気が引けます。

そこで今年はクルミを Polar Bear of the Year (2012) に選択することにしました。 クルミについては実は母親となっている姿が事前には想像しにくかったということがあります。 しかしそれは単なる皮相な先入観であったようです。 初産であるものの彼女は現在産室でしっかりと赤ちゃんの面倒を見ているというのが驚きでもあります。 あの偉大なる母であるモスクワ動物園のシモーナですら初産には成功しなかった件については「モスクワ動物園のシモーナ(2) ~ その初産への道のり」、をご参照下さい。 クルミがこうして出産し、そして現時点まで子育てに成功しているのはひとえに幸運の女神がクルミに微笑んでいるからであり、人間の側の寄与と貢献を考える余地はないように思われます。 言い換えれば、これが不確実性に支配されている飼育下のホッキョクグマの繁殖というものであるように感じます。

人間の側の都合で区切られたカレンダーでは12月31日が一年の最終日ですが、ホッキョクグマのカレンダーではそうではありません。 彼らの「今年の」カレンダーでは出産シーズンは来年の1月初頭まで続くわけです。 仮にたとえばキャンディやルルがこれから出産する(した)とすれば、実は本当は今年の Polar Bear of the Year は実はこの2頭のどちらかにしたいようにも思います。 キャンディについては20歳になってからの出産ということになり、そしてルルについては過去何年も出産を期待され続けてきたわけですから、仮にこの2頭が出産すれば、実はクルミの今回の出産よりもわずかながら価値が優ると言えるように思うからです。 しかしキャンディやルルの出産のニュースをこのままいつまでも待つわけにはいきませんので、現時点までで出産があったクルミを今年の Polar Bear of the Year に選ぶことが正しい選択だと考えます。

(過去関連投稿)
Polar Bear of the Year (2009)
Polar Bear of the Year (2010)
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モスクワ動物園のシモーナ(2) ~ その初産への道のり
by polarbearmaniac | 2012-12-27 07:00 | Polarbearology

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