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街、雲、それからホッキョクグマ ~ Polarbearology & conjectaneum


by polarbearmaniac

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「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(10) ~ 出産に備えた雌の「隔離」とは?

「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(10) ~ 出産に備えた雌の「隔離」とは?_a0151913_3215481.jpg
エサクバク (サンフェリシアン原生動物園)
Photo(C)Le Quotidien

アメリカ動物園・水族館協会 (AZA - Association of Zoos and Aquariums) が作成した 「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Polar Bear Care Manual)」(pdf) をテキストにして具体的な事例を見ていくことを続けていますが、すでに出産シーズンに入っていますので、今回もそれに関連したテーマを考えてみたいと思います。 今回はカナダ・ケベック州のサンフェリシアン原生動物園 (Zoo sauvage de St-Félicien) を例に挙げます。 同園で飼育されている10歳の雌のホッキョクグマであるエサクバク (Aisaqvaq /Aisakvak) はこのシーズンの出産が期待されている「本命」の一頭です。 このエサクバクとパートナーの雄のイレ (Yellé) については「カナダ・ケベック州 サンフェリシアン原生動物園のエサクバクとイレのペアへの大きな期待」をご参照下さい。

8月下旬に「カナダ・ケペック州、サンフェリシアン原生動物園のエサクバク、早々と出産準備のための別区画に移る」 という投稿をしていますのでまずそれを先にご参照いただきたいのですが、サンフェリシアン原生動物園ではすでに8月下旬にエサクバクをメインの展示場から離れた来園者が見ることのできない別区画に移しています。 産室に直結しているこの別区画にはプールや砂場、そして岩場もあるそうで彼女が普段通りの生活ができるようになっています。室内にある産室へのアクセスはいつでも可能であり、彼女の出産日が近づくにつれて彼女は本能に従う形で産室に移動してそこで過ごす時間が次第に増えてくるということになります。 ごく最近のこの別区画でのエサクバクの様子を伝える映像をサンフェリシアン原生動物園が公開していますのでそれを見てみましょう。 エサクバクはなんとなくララに似ていますね。



同園の担当者はこのエサクバクのリラックスした様子を彼女の出産の成功の可能性に結び付けた感想を持っているようですが、普段から彼女を見ている飼育員さんの印象ですから多分その通りなのでしょう。 一方、雄のイレのほうは展示場にいるわけで、彼の一昨日の様子も公開されていますのでご紹介しておきます。



さて、こうして来園者の視線から解放されているエサクバクですが、こうした出産の準備段階における雌の環境整備についてAZAのマニュアルの記述内容を確認してみましょう。 < 7.3 Pregnancy and Parturition> の記述です。

- Separation of the sexes is necessary when the female
polar bear is pregnant, as they become less tolerant of
the male as parturition approaches. Any female that is
suspected of being pregnant should be denned up within
a familiar cubbing den until proven otherwise.


まず上の記述ですが、これはもう常識ですが大事なことは雄と引き離すということです。 次に注目すべきはこの記述で ”cubbing den”という用語です。 この用語が何を意味するかについては同マニュアルの<2.1 Space and Complexity> の記述でこうあります。

- In zoo and aquarium environments, the cubbing den
should be in a quiet area away from the exhibit.
The female should be given access to it routinely prior
to separation in order to develop familiarity with
the area. At one facility, giving the female polar bear
choices of dens, and letting her choose her normal
routine, has increased the success of mother-rearing cubs.


さらに同マニュアルの記述でカナダ・マニトバ州の「ホッキョクグマ保護法」で定められたホッキョクグマ保護規定 (The Manitoba Polar Bear Protection Act regulations - 通称「マニトバ基準」 )における “maternity den” についてこう続けます。

- The Manitoba Polar Bear Protection Act regulations state
that maternity dens for pregnant polar bears (or polar bears
with cubs under four months old) must be at least
8.2' x 8.2' x 8.2' (2.5m x 2.5m x 2.5m).


こうして ” cubbing den” と “maternity den” という2つの用語が登場しているわけですが、この訳語は難しいですね。 ” cubbing den” というのは展示場にいる雄とは隔離された空間を指し、その中に “maternity den” があるわけですから、この“maternity den” は “den chamber” とほぼ同意語と考えていいでしょう。 場合によっては「産室」と言い切ってもいいように思います。 この “maternity den” を含む展示場とは隔離した空間全体を"cubbing den” と呼んでいるわけですからこの"cubbing den” にどういう訳語を当てるかです。 「出産準備用エリア」 とでもするしかないように思います。 あるいは日本語的に思い切って「奥座敷エリア」とでも言いましょうか。 サンフェリシアン原生動物園のエサクバクはこの「出産準備用エリア」にいるということになります。

日本の動物園関係者は動物のいるエリアに「放飼場」という用語を用いていますが、私はこのブログでは「(飼育)展示場」という言い方をしています。 そして場合によっては可能な限り「展示場」「飼育場」「飼育展示場」を使い分けて記述しています。 私はこの日本で使われている「放飼場」は曖昧で不正確であると考えて「飼育展示場」などと記述しているのですが、何故かと言えば英語では Exhibit (来園者が動物を見ることのできる飼育場、すなわち「展示場」) と Off-Exhibit (来園者が見ることのできない「飼育場」、及び寝室、産室などの「飼育場」)は2つとして峻別されているわけで、多くの場合この2つを合わせて英語では全体でHabitat という表現をしています。 ですから Off-Exhibit には屋外と室内の両方を含むことになります。 ところが日本語での「放飼場」というとそれは 「Exhibit のみ」 を指しているのか、それとも 「Exhibit + Off Exhibit の屋外エリア」 をも指すのかがあまり意識されていないのではないでしょうか? 日本語で「放飼場」というのはそのどちらを指しているのかがよくわからない曖昧さがあります。 日本でホッキョクグマを飼育している施設で私の知る限り、「放飼場」ではなく「展示場」という言い方をしているのは男鹿水族館だけのように思います。 男鹿水族館はさすがにシーワールドと協力・提携関係にあるだけあって飼育マニュアルはシーワールドと同じものを使用しているのではないでしょうか? シーワールド(そしてサンフェリシアン原生動物園)が使用しているマニュアルはAZAのマニュアルだそうですから、男鹿水族館も結局はそれに準拠していることになると言えるのではないでしょうか。 ともかく、私はこの男鹿水族館が使用している「展示場」、つまり Exhibit という用語のほうが曖昧さを排した「(欧米)基準」に近い考え方を背景とした好ましい言い方だろうと思います。 「放飼場」というのは日本特有の空間の概念であり、もともとその意味が曖昧であるが故に外国語でこれにそっくりそのまま正確に対応する一つの単語を探すのは難しい気がします。

さて、これをふまえて本論に戻って整理しますが、AZAのマニュアルでは出産シーズンか違づいてきた場合にまず「雌を展示場にいる雄から引き離す」ことが必要であると述べており、これはごく常識的な話です。 そして次に雌を屋内の産室 (“maternity den”) につながるエリアである "cubbing den” のある Off-Exhibit に移して、雌が自然に産室に入れる状態を作り出す...そういう考え方ということになります。 ですからある日を境に「産室に閉じ込める」という発想ではないわけです。 雌の行動に自由を与えてやるという考え方が根底にある点に気が付かされます。

さて、本論をまた少し離れますがホッキョクグマの飼育に限らず、諸々のことには2つのやり方(そして姿勢)が存在し、どちらに重きを置くかについては様々でしょう。 これを非常に単純化して荒っぽく言えば(正確さに欠ける分類になりますが)、

A.マニュアル(理論、定型化の実践) のサンフェリシアン原生動物園
(と男鹿水族館)

B.経験 (長年の体験の蓄積・改良、個別化) のモスクワ動物園
(と円山動物園)


という分類も不可能ではないでしょう。 AとBの違いはいくつかあるように感じます。 一つあげれば、Bのほうは個体の違いを重視しますが、Aはそれほど重視しないとかいった傾向です。 それは別の機会に稿を改めたいと思います。 これもなかなか興味あるテーマです。

(資料)
Association of Zoos and Aquariums - Polar Bear (Ursus Maritimus) Care Manual
Association of Zoos and Aquariums (Standardized Animal Care Guidelines – Polar Bear)
カナダ・マニトバ州 「ホッキョクグマ保護法」 - Manitoba ‘Polar Bear Protection Act’ (PBPA, 2002)
カナダ・マニトバ州 「ホッキョクグマ保護法」・ホッキョクグマ保護規定 (通称「マニトバ基準」) - Polar Bear Protection Regulation)
Zoo sauvage de St-Félicien (Oct.17 2013 - Aisakvak)
Zoo sauvage de St-Félicien (Oct.22 2013 - Yellé)

(過去関連投稿)
カナダ・ケベック州、サンフェリシアン原生動物園のエサクバク、展示場に復帰 ~ 本命の意外な失望結果
カナダ・サンフェリシアン原生動物園で次の繁殖シーズンへ向けての同居開始 ~ 各国での次の繁殖を占う
カナダ・ケベック州 サンフェリシアン原生動物園のエサクバクとイレのペアへの大きな期待
カナダ・ケペック州、サンフェリシアン原生動物園のエサクバク、早々と出産準備のための別区画に移る
「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(1) ~ 雄雌の同居は繁殖行動期に限定すべき?
「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(2) ~ ホッキョクグマの訓練をどう考えるか
「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(3) ~ 胸部の変化は妊娠の兆候と言えるのか?
「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(4) ~ 産室内の授乳の有無をどう判断するか
「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(5) ~ 赤ちゃんの頭数・性別は事前予測可能か
「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(6) ~ Courtship Behavior の位置付け
「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(7) ~ 産室内の母親は室内に留め置くべきか?
「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(8) ~ いつ頃から赤ちゃんを水に親しませるか?
「ホッキョクグマ飼育マニュアル(Care Manual)」よりの考察(9) ~ 同居を許容しうる雌雄の頭数構成
by polarbearmaniac | 2013-10-23 06:00 | Polarbearology

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