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街、雲、それからホッキョクグマ ~ Polarbearology & conjectaneum


by polarbearmaniac

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大阪・天王寺動物園、ホッキョクグマ飼育の歴史 ~ 1971年8月3日と1974年3月14日に同園で死亡した個体は何頭だったのか?

大阪・天王寺動物園、ホッキョクグマ飼育の歴史 ~ 1971年8月3日と1974年3月14日に同園で死亡した個体は何頭だったのか?_a0151913_06312795.jpg
1937年3月の#1949, #1950, #1951, #1952 のうちの二頭
Image :hiro uyeda

昨年秋の「苦闘の繁殖記録」という一連のシリーズ投稿で、繁殖が成功した以前のホッキョクグマ飼育について触れなかった動物園の一つが大阪の天王寺動物園です。1980年代後半からユキオ (#206 Yukio 1979~1995) とユキコ (#940 Yukiko 1979~2004) のペアによって同園のホッキョクグマ繁殖の「第一期黄金時代」が始まるわけですが、その時代以降については「大阪・天王寺動物園の苦闘の繁殖記録 ~ 残念な幼年期・若年期での早世個体の多さ」という投稿を御参照頂くこととし、今回はその時代の前における天王寺動物園のホッキョクグマ飼育についてまとめていきたいと思います。資料として用いるのは世界の飼育下のホッキョクグマの血統情報を管理しているドイツのロストック動物園の資料、及び天王寺動物園の資料です。
大阪・天王寺動物園、ホッキョクグマ飼育の歴史 ~ 1971年8月3日と1974年3月14日に同園で死亡した個体は何頭だったのか?_a0151913_05543085.jpg
天王寺動物園(2021年3月26日撮影)

1915年に開園した天王寺動物園におけるホッキョクグマ飼育の開始については資料的にさかのぼることのできるのは1933年の11月のことです。この時に同園は一気に四頭ものホッキョクグマを導入しています。雄(オス)が一頭、雌(メス)が三頭というアンバランスな性別の四頭です。この四頭はいずれもドイツ・ハンブルクのハーゲンベック動物園から1933年11月22日に天王寺動物園に入園した記録があります。ちなみにこの年のドイツでは国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)のアドルフ・ヒトラー首相の率いる政府にヴァイマル憲法に拘束されない無制限の立法権を授権した全権委任法が成立しています。そういったドイツから野生出身の四頭のホッキョクグマたちが大阪に到着したというわけです。以下のように整理しておきます。いずれも生年は1932年であることが濃厚です。

・個体A #1949 性別は雌(メス) 
・個体B #1950 性別は雄(オス)
・個体C #1951 性別は雌(メス)
・個体D #1952 性別は雌(メス)

これらの四頭のホッキョクグマたちのうち、少なくとも二頭の姿が映っている1937年3月の貴重な映像がありますのでご紹介しておきます。ちなみに天王寺動物園(当時は大阪市立動物園という名称)のホッキョクグマ飼育展示場は同園内の拡張工事は1932年に始まって1934年に終了しており、この工事によって同園のホッキョクグマ飼育展示場が完成しています。その完成から数年後の映像ということになります。


さて、この四頭のホッキョクグマたちを待っていたのは悲惨な運命でした。大戦末期の「戦時猛獣処分」の一環としてこの四頭のホッキョクグマたちは1943~1944年に殺処分されています。「戦時猛獣処分」に関しては恩賜上野動物園に関する「東京・上野動物園の苦闘の繁殖記録(1) ~ 1917年ロシア革命勃発時にホッキョクグマの双子の赤ちゃん誕生!」という投稿も御参照下さい。天王寺動物園におけるホッキョクグマの殺処分は日本獣医師会の資料によりますと薬殺によって行われたとのことで、具体的には硝酸ストリキニーネが用いられたそうです。血を吐いて苦悶の末、死に至るまで長い時間がかかる場合の多い実に悲惨な殺処分だったようです。尚、恩賜上野動物園のホッキョクグマの場合は絞殺が行われています。この絞殺も個体にとっては相当に苦痛の伴うものですので硝酸ストリキニーネの使用よりもましだったとは言えないでしょう。ロストック動物園の資料は以下のように天王寺動物園のこの四頭の死亡について記録しています。

・個体A #1949 1943年9月17日死亡 (医療安楽殺) 
・個体B #1950 1943年9月18日死亡 (医療安楽殺)
・個体C #1951 1943年10月2日死亡 (医療安楽殺)
・個体D #1952 1944年3月15日死亡 (医療安楽殺)

悲劇的な最期を遂げた動物たちには本当に深く同情するのはもちろんのこと、当時の飼育員さんたちの気持ちを思うとやるせなくなってしまいます。自分たちが大切に世話してきた動物たちを自らの手で殺さねばならなかったということは、全人格を否定されたことと同じです。精神的なダメージの大きさは想像するに余りあると思います。
大阪・天王寺動物園、ホッキョクグマ飼育の歴史 ~ 1971年8月3日と1974年3月14日に同園で死亡した個体は何頭だったのか?_a0151913_11110083.jpg
1937年3月の#1949, #1950, #1951, #1952 のうちの一頭
Image :hiro uyeda

その一方で、私は以下のようにも考えます。たとえば東京や大阪以上に戦争の被害が重大だったベルリン動物園は最後まで職員による「戦時猛獣処分」は行いませんでした(ただし空襲などで死亡した動物はもちろん多くいましたが)。さらにドイツ軍によって包囲されたソ連の都市であったレニングラードの動物園は最後まで職員は動物たちを守り切ったわけです。レニングラードという都市がサンクトぺテルクと昔の名前に戻っても動物園は戦勝中の職員の動物たちを守った英雄的行為を称えて現在でもレニングラード動物園という名前を変えていません。しかし日本の動物園は軍による命令を待たずに軍に忖度して自発的な形で動物たちを殺処分したわけです。私たちは自分たちの勇気の無さを隠蔽するような形で戦後になってからこの戦争中の殺処分をセンチメンタルな形でストーリーにし、そして安っぽい「反戦思想」に導いていくといった風潮を我々自身が是認することにより自分たちの責任を忘れようとしてきたとも言えるわけです。昔も今も我々日本人というのは実に情けない存在であったと私は思っています。

大阪・天王寺動物園、ホッキョクグマ飼育の歴史 ~ 1971年8月3日と1974年3月14日に同園で死亡した個体は何頭だったのか?_a0151913_05513240.jpg
天王寺動物園(2021年3月25日撮影)

さて、戦後に移ります。戦後になって天王寺動物園は再びホッキョクグマを導入するのですが、まず最初に入園したのは1951年生まれと推定できる雌(メス)の個体(#2121 1951~ 1964 以下「個体E」と略記)でした。この個体Eが同園に入園したのは1962年9月10日のことでした。奇妙なことに個体Eにはパートナーがいなかったらしく、次に同園に入園した個体もやはり雌(メス)の個体(#1213 Frosty II 1951~ ? 以下「個体F」と略記)だったのです。この個体Fは1956年7月7日に天王寺動物園に入園した記録が残っています。そして1965年8月31日までは確実に同園で飼育されていた記録が残っていますが、その後に動物商に売却され、以降の消息は不明となっています。私は、個体E,または個体Fのうちどちらかの性別についてロストック動物園の資料は間違っている可能性が大きいような気がします。何故ならば、二頭のホッキョクグマを導入する場合には異なる性別の個体を導入するのが通常のケースだからです。このことは、個体Eが1964年2月6日に死亡したため個体Fが1965年に動物商に売却されたことからも推察できるからです。ホッキョクグマをペアとして飼育した場合に一頭が死亡すると残った一頭は売却してペアを完全に入れ替えるということが当時の日本の動物園の考え方だったことは昨日の円山動物園に関する投稿の中でも触れています。

さて、ペアを入れ替えることとなった(らしい)天王寺動物園は1965年に一気に三頭のホッキョクグマを導入することとなった(らしい)記録が残っていますが、この情報には注意が必要です。

まず雌(メス)の個体(#2329 1963~1971 以下「個体G」と略記)が1965年3月31日に同園に入園した記録が残っています。同じ日にやはり雌(メス)の個体(#3212 1963~1971 以下「個体H」と略記)が同園に入園した記録が残っています。さらに雄(オス)の個体(#1225 1963~ ? 以下「個体I」と略記)が同じ日の1965年3月31日に同園に入園した記録が残っています。つまり、雄(オス)一頭に雌(メス)二頭という、いわば理想的な形で繁殖を行おうとしていた意図が読み取れます。ところが個体Gは1971年8月3日に感染症が原因で死亡しています。そして個体Hも同じ日に死亡した頃句が残っているのですが死因は不明となっています。これは非常に不自然です。以下の二つの可能性があります。

(A)個体Gは感染症で死亡したが、同じ日に死亡した個体Hも個体Gと全く同じウィルスによる感染症でたまたま同じ日に死亡した。つまり1971年当時に天王寺動物園のホッキョクグマ飼育展示場にはウィルスが蔓延していた。

(B)個体Gと個体Hは実は同一個体であり、よって死亡日が同じになっている。

私は上の(B)のほうが可能性は大きいと思います。天王寺動物園はロストック動物園に対して情報を重複して送っている(つまり訂正情報を新規情報として送っているらしい)ことは現在のシルカの血統情報に関しても言えることだからです。こういったことが起こり得る原因には、自園で飼育しているホッキョクグマの血統番号を把握していない場合が有り得ます。訂正情報ならば「血統番号XXの個体の情報の訂正」として通知できても、その番号を知らない場合には血統番号の引用ができません。つまり情報のロールオーバーができないのです。ロストック動物園ではその番号が記載されない場合には「新規情報」として処理してしまっている危険性があります。
大阪・天王寺動物園、ホッキョクグマ飼育の歴史 ~ 1971年8月3日と1974年3月14日に同園で死亡した個体は何頭だったのか?_a0151913_06025230.jpg
天王寺動物園内(2021年3月27日撮影)

さて、その次に天王寺動物園が導入した個体にも謎があります。まず野生出身と思われる雄(オス)の個体 (#1236 1971~ ?  以下「個体J」と略記)が1973年10月31日に入園しています。そして次に1973年11月12日に入園したのが雌(メス)の個体(#1172  1972~1974 以下「個体K」と略記)です。彼女は1972年12月15日のオランダのエメン動物園で生まれています。この個体Jは1974年3月14日に天王寺動物園で一歳半で感染症が原因で亡くなっています。またもや感染症ですか.....。そして不思議なことにまた別の雌(メス)の個体(#3223 1971~1974 以下「個体L」と略記)が1973年11月16日に入園した記録が残っています。この個体Lは1971年12月12日に飼育下で生まれているのですが誕生した動物園が不明となっています。この個体Lは1974年3月14日に天王寺動物園で死亡した記録が残っています。死因は不明となっています。つまり個体Kが感染症で死亡した同じ日に彼女も亡くなっているのです。実に奇妙です。ロストック動物園の資料では1971年8月3日と1974年3月14日に、それぞれ雌(メス)の二頭が亡くなり、合計4頭が死亡したことになっているのです。この1974年3月14日における個体Kと個体Lの死については以下の二つの可能性があります。

(A)個体Kは感染症で死亡したが、同じ日に死亡した個体Lも個体Kと全く同じウィルスによる感染症でたまたま同じ日に死亡した。つまり1974年当時に天王寺動物園のホッキョクグマ飼育展示場にはウィルスが蔓延していた。

(B)個体Kと個体Lは実は同一個体であり、よって死亡日が同じになっている。

さて、今度は(B)の可能性の方が高いとは言い切れないように思います。何故なら個体Kと個体Lは誕生日が異なり、そして入園した日も違うからです。

さて、残された雄(オス)の個体Jは1980年12月15日に動物商に売却され、それ以降の消息は不明となっています。そしてその後にユキオ (#206 Yukio 1979~1995) とユキコ (#940 Yukiko 1979~2004)の時代が幕を開けます。ユキオが入園したのは1980年12月15日、ユキコが入園したのも同じ1980年12月15日であった記録が残っています。それは奇しくも、個体Jが動物商に売却された日だったわけです。個体Jはその時まだ9歳になったばかりだったもののペアの一頭が死亡した場合は完全に別個体のペアに入れ替えるという、当時の日本の動物園の考え方がここでも見てとれるのです。さて、ユキオ (#206) とユキコ(#940) の時代以降については「大阪・天王寺動物園の苦闘の繁殖記録 ~ 残念な幼年期・若年期での早世個体の多さ」に述べていますので、そちらを御参照下さい。
大阪・天王寺動物園、ホッキョクグマ飼育の歴史 ~ 1971年8月3日と1974年3月14日に同園で死亡した個体は何頭だったのか?_a0151913_06112143.jpg
天王寺動物園内(2021年3月29日撮影)

(資料)

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by polarbearmaniac | 2021-07-02 23:45 | Polarbearology

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