街、雲、それからホッキョクグマ ~ Polarbearology & conjectaneum


by polarbearmaniac

プロフィールを見る
通知を受け取る

カテゴリ:異国旅日記( 829 )

小雨のモスクワから成田へ帰還

a0151913_10184611.jpg
今日のモスクワは小雨模様。ホテルの隣の公園ではほとんどの葉は落ちている。ロシアの「黄金の秋」は終わったのである。
a0151913_1020420.jpg
ホテルをチェックアウト後にドモジェドヴォ国際空港にやってきた。
a0151913_10213216.jpg
JALのチェックインカウンターである。JALは現在使用しているドモジェドヴォ空港から昔使用していたシェレメーチェヴォ空港に戻るという話がある。真偽を聞いてみたら来年2019年後半以降にそうなるそうである。となればロシアの国内線はアエロフロートに接続することになるだろう。
a0151913_1024244.jpg
モスクワから成田への飛行時間は7時間40分。
a0151913_102813100.jpg
a0151913_10283368.jpg
ビジネスクラスは SKY SUITE である。
a0151913_10294633.jpg
これはまるで個室にいるような感覚を味わえるシートなのだがやや息苦しいという印象もある。
a0151913_1032039.jpg
今日は隣のシートが空席である。
a0151913_10323726.jpg
このスイッチを操作すると....。
a0151913_1033932.jpg
隣のシートとの間に壁ができるというわけである。
a0151913_1033599.jpg
離陸後の夕食には和食をオーダーした。今回は結構おいしかった。まあこれなら合格といったところである。
a0151913_1035138.jpg
B787機はロシアを横断して日本海に入る。
a0151913_10354645.jpg
ここで朝食として洋食をオーダーしたが、これがよくなかった。まずくて食べていられない。
a0151913_10364994.jpg
間もなく成田空港に到着である。
a0151913_1038437.jpg
定刻より30分ほど早く成田に到着。
a0151913_10385065.jpg
到着ターミナルから3Fの出発ターミナルに上がっていき和食レストランで朝食の和定食をオーダーした。朝食を食べ直すためである。

SONY DSC-RX100M5A
(Oct.24 2018@成田国空港)
by polarbearmaniac | 2018-10-24 10:00 | 異国旅日記

2018年秋のロシアの旅を間もなく終了 ~ モスクワ市民は一斉に冬の装いへ

a0151913_5532654.jpg
昨日から急にモスクワに暮らす人々の服装が一斉に冬モードになった。もう10月下旬になっているから当然と言えば当然である。数日前までは奇妙に暖かかったのに週末になって一気に気温が低下した。
a0151913_5535956.jpg
ノヴォシビルスク、オムスク、ニジニ・ノヴゴロド、モスクワと続けてきたこの旅もそろそろ終わりとなる。次のロシアは来年の春になるだろう。3月下旬から4月中旬くらいを考えている。問題はノヴォシビルスク、ペルミ、ヤクーツクで果たしてホッキョクグマの赤ちゃんが生まれるかどうかである。あとは私の健康次第でもある。
a0151913_5543360.jpg
ノヴォシビルスク、ペルミ、ヤクーツクという三つの動物園全てで赤ちゃんが生まれて一般公開になれば、その三都市を全て回ることにしたい。あとは欧州、特にベルリンとブルノだろう。
a0151913_555399.jpg
というようにいろいろと考えているのだが、日本では数年間の間はホッキョクグマの赤ちゃん誕生はないだろうと思っているから海外に行くということになるのだ。
a0151913_5553634.jpg
東京(成田)からノヴォシビルスク行きの直行便を今回初めて利用したが非常に便利だった。朝に成田を出発してその日のうちにはノヴォシビルスク動物園に行くことができる。ロシアの旅の起点にノヴォシビルスクを考えてみると非常に便利である。但し、朝の8時40分成田発というのが難点で前日は成田空港近くのホテルに泊まることが必要になってくる。
a0151913_5561248.jpg
今回は非常に疲れた。8~9月の旅行の疲労からの回復が十分ではないうちにロシアに来てしまった。
a0151913_5565017.jpg
モスクワも段々とインフラが整備されてきている。その意味では便利になってきていることは間違いない。
a0151913_5571837.jpg
SONY DSC-RX100M5A
(Oct.22 2018@モスクワ)
by polarbearmaniac | 2018-10-23 05:30 | 異国旅日記

スクリャービン記念博物館で味わう革命前夜の20世紀初頭の残照 ~ 前衛芸術家の濃厚な生活・創造空間

a0151913_383573.jpg
私がこのスクリャービン記念博物館 (Мемориальный музей А. Н. Скрябина) に来たのはこれで四度目である。本ブログ開設後に限ってもこれで三度目となる。ここはロシアの作曲家、アレクサンドル・スクリャービン(Александр Николаевич Скрябин 1872~1915) が最晩年の1912年から死の1915年にかけて住んだ家が現在は当時のままの状態で記念館になっているのである。
a0151913_3122894.jpg
何故私がここに何度も来るかと言えば、ここはモスクワのいろいろな記念展示館のなかで最も住んでいた人の時代の雰囲気をよく伝えている場所だからである。先回の訪問は2015年の10月2日のことだった。
a0151913_321038.jpg
a0151913_3221978.jpg
部屋は全体的に暗いのだが、それは当時の家具や敷物全体から醸し出されてくる雰囲気そのものである。
a0151913_3242539.jpg
a0151913_3254756.jpg
a0151913_4244593.jpg
a0151913_3262684.jpg
a0151913_3555727.jpg
a0151913_3274929.jpg
居間に入ったすぐのところにあるこのピアノは1986年にモスクワ公演のために訪ソしたホロヴィッツがこの記念博物館を訪れ、そして弾いたピアノである。その時の映像が残っている。興味のある方はクリック後にyoutubeページで映像を見ることができる。



a0151913_34449.jpg
スクリャービンは敗血症のためこの住居のこの寝室のこのベッドで亡くなっている。1915年4月のことだった。
a0151913_3571583.jpg
スクリャービン記念博物館の訪問は多くの方にお勧めしたいと思う。革命直前の20世紀初頭の雰囲気が実感できる場所である。ただし音楽に関心があり、さらにスクリャービンをかなり聴きこんだ人でないと足が向かないかもしれないが。

SONY DSC-RX100M5A
(Oct.21 2018@モスクワ)
by polarbearmaniac | 2018-10-22 05:30 | 異国旅日記

レールモントフの家博物館 (Дом-музей М.Ю. Лермонтова) を訪ねて

a0151913_656943.jpg
レールモントフの家博物館 (Дом-музей М.Ю. Лермонтова) にやってきた。
a0151913_6563650.jpg
ここは詩人レールモントフ (Михаил Юрьевич Лермонтов 1814~1841)が1830年から1832年まで居住していた住居である。彼は26年間の人生をまさに駆け抜けた詩人である。そして決闘によって若くして亡くなった。
a0151913_6565874.jpg
正直言って私は彼のことをよく知らない。かなり昔に「現代の英雄」という小説を読んだが非常に強烈な印象だった。ただしそれ以上彼の作品を読んでみようと言う気にはならなかった。この作家は感性は鋭敏だが何か少し性急さがあるような気がした。そういったこともあってか私は今までほとんど彼に関心を持ってこなかった。
a0151913_730061.jpg
レールモントフはロシアではよく知られ、そして評価も高いようである。プーシキンと同じような死に方をした点が彼のその後の氷解にはマイナスにはならなかったらしい。
a0151913_7302293.jpg
それは何かロシア人の潜在的に持っている死への願望に彼の生涯がうまくはまってしまうからなのかもしれない。ともかく私にはわからないことが多い。
a0151913_1513487.jpg
私が何故今日ここに遣って来たかといえば、このレールモントフの住んでいた家は一時期まさに取り壊されようとしていたものの、それを体を張って食い止めた人々の努力があっために現存しているという素晴らしいエピソードを知ったためである。「モスクワは本のゆりかご」という本にそれが述べられている。
a0151913_7304637.jpg
歴史を守ろう、記憶を保存しようという人々の努力は実に貴重である。
a0151913_731674.jpg
正直言って私は今後、彼に興味を持つかどうかはわからない。しかし今日やはりここに来てよかたっと思う。
a0151913_152778.jpg
SONY DSC-RX100M5A
(Oct.21 2018@モスクワ)

(資料)
Russia Beyond (Oct.20 2014 - 天才レールモントフの素顔)
by polarbearmaniac | 2018-10-22 05:00 | 異国旅日記

シャリアピンの家記念館 (Мемориальная усадьба Ф.И. Шаляпина) を訪ねて

a0151913_4291848.jpg
シャリアピンの家記念館 (Мемориальная усадьба Ф.И. Шаляпина) にやってきた。ここは一般的にはシャリアピンの家博物館 (Дом-музей Ф. И. Шаляпина)とも呼ばれている。
a0151913_4321417.jpg
ここはロシアのカリスマ的大歌手であったシャリアピン (Фёдор Ива́нович Шаля́пин 1873~1938) が1910年から1922年まで住んだ住居である。
a0151913_4355331.jpg
彼はカザンに生まれているのだが、私はカザンで以前に彼が生まれた場所の隣にあったシャリアピンパレスというホテルに宿泊したことがあった。
a0151913_531832.jpg
シャリアピンは1917年のロシア革命後は共産党政権にも認められた芸術家ではあったがやはり当時のソ連では歌手としての活動は必ずしも自由ではなかったためにこの住居に暮らしていた彼は1922年にパリに移住してしまいソ連国外で活動するようになったのである。
a0151913_510290.jpg
シャリアピンは1936年に来日して日比谷公会堂でもリサイタルを行っている。
a0151913_5145074.jpg
これはシャリアピンの舞台衣装である。一番右が彼の最高の当たり役だった「ボリス・ゴドゥノフ」で着用した衣装である(という説明だった)。
a0151913_530489.jpg
彼は途方もないスケールを持つ大歌手だった。彼こそは歴史上の歌手なのである。
a0151913_63328.jpg
彼のパリでの活動の企画を行ったのはあのディアギレフであったが、ディアギレフはコスモポリタンであった一方でシャリアピンは完全にロシアに根ざしていた。
a0151913_527959.jpg
パリにいてもディアギレフはロシアへの望郷の念はなかっただろう。しかしシャリアピンは政治状況さえ許せばロシアに戻りたいと考えていただろうと思われる。
a0151913_6171961.jpg
a0151913_6175169.jpg
SONY DSC-RX100M5A
(Oct.21 2018@モスクワ)



Feodor Chaliapin sings Stenka Razin


Feodor Chaliapin sings "Song of the Volga Boatmen"
by polarbearmaniac | 2018-10-22 04:00 | 異国旅日記

冬の到来を待つモスクワ動物園のホッキョクグマたち ~ ウランゲリさん、ムルマさん、お元気で!

a0151913_720482.jpg
ムルマさん、こんにちは! 大分冷えてきた感じですね。
a0151913_650179.jpg
ウランゲリさん、相変わらずの居眠りですか!
a0151913_6435338.jpg
今年の秋のシーズンの最後の週末といったような感じで今日の来園者は多いようである。
a0151913_6463033.jpg
チケット売り場は長い行列ができている。
a0151913_6533222.jpg
今日のモスクワは昨日と一変して空気が非常に冷たくなった。冬の足音が聞こえたような感じである。
a0151913_6564665.jpg
a0151913_6594227.jpg
a0151913_701337.jpg
ムルマは一体何を考えているのかは想像もできない。
a0151913_723394.jpg
a0151913_76723.jpg
どうやら窓の格子からの給餌のようである。立ち上がるムルマ。
a0151913_77888.jpg


ムルマの午後 - Murma the Polar Bear getting treat at Moscow Zoo, on Oct.20 2018

a0151913_6352474.jpg
このムルマもそろそろモスクワ動物園では見納めかもしれない。ヴォロコラムスク附属保護施設の野生孤児出身である雌(メス)のニカとアヤーナがこの本園に登場する日が近いのではないかと考えられる。
a0151913_7324856.jpg
いよいよモスクワ動物園で繁殖を担う個体の全面的な世代交代となるわけである。
a0151913_7362734.jpg
a0151913_7384271.jpg
a0151913_741214.jpg
a0151913_743181.jpg
このウランゲリは私を魅了し続けてきた雄(オス)のホッキョクグマである。あのメンシコフさえいなければこのウランゲリがロシアでは最高の雄(オス)のホッキョクグマという評価を浴びていただろう、
a0151913_7484829.jpg
ウランゲリはしばらくはこの本園に留まりそうだが果たしていつ頃まで会い続けていくことが可能だろうか?
a0151913_7525926.jpg
ウランゲリというのは本当に素晴らしい男なのだ。控えめではあるがユーモアのある男なのだ。
a0151913_841183.jpg
ムルマはとうとうウランゲリとはちゃんとした関係は築けなかったようである。
a0151913_8132287.jpg
ウランゲリさん、ムルマさん、お元気で!
a0151913_8161076.jpg
SONY DSC-RX10M4
Panasonic HC-W870M
(Oct.20 2018@モスクワ動物園)
by polarbearmaniac | 2018-10-21 05:00 | 異国旅日記

プロコフィエフ博物館 (Музей С.С. Прокофьева) を訪ねて

a0151913_3254827.jpg
もう暗くなっているが今日最後の訪問はカメルゲルスキー横町のプロコフィエフ博物館 (Музей С.С. Прокофьева) である。ここは今年の5月28日の投稿で触れていたが入るのは今回が初めてである。
a0151913_3262189.jpg
この家は作曲家であるセルゲイ・プロコフィエフ (Сергей Сергеевич Прокофьев 1891~1953) が1947年から彼の死の1953年までを暮らした住居である。
a0151913_3264831.jpg
この博物館は2016年にオープンしたらしい。
a0151913_3382243.jpg
私も今年の5月に初めてその存在に気が付いた。
a0151913_3433553.jpg
さて、どんな展示が行われているのだろうか。
a0151913_3535445.jpg
a0151913_351266.jpg
彼が晩年に使用していたピアノである。ベッヒシュタインだった。
a0151913_3555369.jpg
ピアノの隣にあるのが彼の仕事机である。
a0151913_3593683.jpg
彼の着用していた燕尾服。
a0151913_421845.jpg
彼の自筆譜であるが非常に細かく几帳面に書かれている。
a0151913_452647.jpg
.....といったところで私の興味を引くものはなかったしプロコフィエフの人となりといったものもあまり感じさせない展示だった。
a0151913_481761.jpg
プロコフィエフはその根本のところであまりロシアを感じさせない作曲家のような気がする。それはあのディアギレフと似たところがある。正直言って私は今まであまり彼に関心を持ってこなかった。今回の彼の晩年の住居を訪問しても興味が湧いてくるといった感じは残念ながらしない。

SONY DSC-RX100M5A
(Oct.19 2018@モスクワ)


Martha Argerich plays Sonata in B-flat, opus 83, Precipitato, by Sergei Prokofiev
by polarbearmaniac | 2018-10-20 05:00 | 異国旅日記

スタニスラフスキーの家博物館 (Дом-музей К.С. Станиславского) を訪ねて

a0151913_1431218.jpg
ゴーリキーの家博物館の比較的近くにあるスタニスラフスキーの家博物館 (Дом-музей К.С. Станиславского) を訪ねることにする。
a0151913_1442771.jpg
ここはロシアの演出家であったコンスタンチン・スタニスラフスキー (Константин Сергеевич Станиславский 1863~1938) が1921年から彼の死の1938年まで住んだ家である。
a0151913_1523462.jpg
「スタニスラフスキー・システム」といえば彼が提唱した演技理論である。私は演劇は比較的好きな人間だが演技理論とが演出理論といったものはレストランの調理場のようなものだと思っているのでそういったことはあまり知ろうという気持ちになってこなかった。
a0151913_215343.jpg
この博物館はまずオネーギン・ホールという演技練習用の舞台から展示が始まる。
a0151913_294997.jpg
「スタニスラフスキー・システム」というのはある人に言わせると「悲しいから泣く」、つまり役者が悲しい気持ちになりきることによって「泣く」という迫真的な演技に繋がっていくということであり状況による心情を方法論化したものらしい。
a0151913_2263934.jpg
一方で本ブログで取り上げたメイエルホリドは「泣くから悲しい」、つまり身体的な動きが身体の状態に繋がっていく演技になるといったことであるらしい。この違いは私には感覚的には理解できるような気持にはなる。
a0151913_229377.jpg
これはスタニスラフスキーの仕事机である。彼は晩年にこの机で演劇理論などを執筆していたそうである。
a0151913_2435624.jpg
もう一つ机があるのだが彼が演劇理論を執筆したのはどちらだったか担当の女性が詳しく説明してくれたのだが私は失念してしまった。
a0151913_2494393.jpg
私にはわからないことがある。同じスターリン時代の演出家なのにスタニスラフスキーは粛清されず何故メイエルホリドは粛清されたかである。そもそもスタニスラフスキーはスターリン時代にあって体制側からの圧迫はなかったのだろうか? スタニスラフスキーとメイエルドリドの演劇理論の違いがこの二人の運命を隔てたのか、それとも演劇理論の内容とは無関係にこの二人の運命は分かれたのか...このあたりがわからない。
a0151913_256341.jpg
こういったことは演劇専門の研究者よりも歴史家が説明すべきものなのかもしれない。この博物館で見事な英語で展示内容を説明してくれた女性に私はよほどこの質問をしてみようかと思った。しかし思い留まった。
a0151913_334392.jpg
SONY DSC-RX100M5A
(Oct.19 2018@モスクワ)
by polarbearmaniac | 2018-10-20 04:00 | 異国旅日記

ゴーリキーの家博物館 (Музей-квартира А. М. Горького) を訪ねて

a0151913_7312242.jpg
続いて文学者のマクシム・ゴーリキー (Максим Горький 1868~1936) が最晩年の1932年から彼の死の1936年まで住んだ住居を訪ねることにする。
a0151913_948619.jpg
ゴーリキーは私が先日訪問したニジニ・ノヴゴロドの生まれである。ニジニ・ノヴゴロドにも彼の家の博物館があるのだが時間がなくて行くことができなかった。私は彼の作品では昔、「どん底」だけは読んだが大した作品だとは思わなかった。
a0151913_7475666.jpg
この博物館の入り口は建物の後ろにある。
a0151913_7503966.jpg
上階へのアール・ヌーヴォーの階段が素晴らしい。
a0151913_7531246.jpg
これは食堂である。
a0151913_7553057.jpg
ゴーリキーは1921年に結核の療養のためイタリアのソレントに移ったのだが1932年にスターリンの要請でソ連に帰還した。そしてこの豪邸を住居として与えられたのだ。但し実質上は軟禁状態に近いものだったらしい。
a0151913_851642.jpg
そして彼は1934年に息子を亡くし、そして彼自身も1936年にここで亡くなるのだが、この二つの死はスターリンによる謀殺だったという可能性があるそうだ。なにしろ暗黒のスターリン時代である、
a0151913_8151552.jpg
a0151913_8195569.jpg
a0151913_8224479.jpg
これは彼の仕事机である。
a0151913_8261139.jpg
彼の使用したタイプライターだろう。
a0151913_8571837.jpg
結局のところゴーリキーはスターリンによって政治プロパガンダに利用されただけだった。
a0151913_9123599.jpg
それから、やはりこの住居を見ているうちに何か奇妙な感覚にとらわれてしまうのだ。ゴーリキーはスターリンによって謀殺されたという説は私は正しいと思っている。この家の主は突然何かによってその運命を狂わされてしまったのだ。
a0151913_913360.jpg
a0151913_9391999.jpg
SONY DSC-RX100M5A
(Oct.19 2018@モスクワ)
by polarbearmaniac | 2018-10-20 03:30 | 異国旅日記

ゴーゴリの家 (Дом Н. В. Гоголя) を訪ねて

a0151913_4581317.jpg
モスクワは今日も暖かい。今日は記念館巡りをすることにした。まずやってきたのはアルバート通りから近い「ゴーゴリの家 (Дом Н. В. Гоголя) である。
a0151913_50234.jpg
ここは文学者のニコライ・ゴーゴリ (Николай Васильевич Гоголь 1809~1852) が1848年からその死の1852年までの四年間を過ごした住居である。
a0151913_563513.jpg
実は私は彼の作品をあまり読んではいない。読んだのは「外套」、「鼻」、「検察官」くらいである。しかもかなり昔のことである。私はそういった作品は単に当時のロシア社会に対する鋭い批判であるといった印象しか覚えていない。そしてゴーゴリの作品はドーミエの風刺画に根本的な部分で近いものがあるといった印象を得たといった程度である。
a0151913_5292285.jpg
ところがゴーゴリという作家は一筋縄ではいかない面があるらしい。そういった作品に現れている傾向とは違って彼は本当のところは保守的な人間だったらしいというのである。実際のところはなかなか複雑な作家だったらしい。
a0151913_5354658.jpg
いつも感じるのだが昔のベッドというのは非常に小さいということである。
a0151913_543755.jpg
考えてもみればゴーゴリの生涯はあのフレデリック・ショパン (1810~1849) が生きた時代と非常に重なる。批判精神を含んだある種のロマン主義という点でこの二人は共通した面があるのかもしれない。
a0151913_673484.jpg
ゴーゴリは旅を好んでいたようだ。
a0151913_5451950.jpg
ゴーゴリの晩年、つまり彼がこの家に住んでいた時期には彼は宗教にのめり込んでいったらしい。
a0151913_6105558.jpg
彼は最終的には食事を拒否して亡くなったというのだから、ある種の幻想に苛まれていたのだろう。
a0151913_6125550.jpg
このゴーゴリというのが本当にどのような人物であったかは評価が難しいらしい。正直言って私はよくわからない。
a0151913_6173287.jpg
彼の人となりといったものは彼が最晩年を過ごしたこの家をこうして訪ねてみてもよくわからなかった。最晩年を暮らしたこの場所からあまり多くのことを感じとれないとすれば、ゴーゴリの最晩年は彼の人格において重要な何かがもう無くなってしまった年月ということになるだろう。彼の実像といったものは何か謎に包まれているといっても過言ではないかもしれない。

SONY DSC-RX100M5A
(Oct.19 2018@モスクワ)
by polarbearmaniac | 2018-10-20 03:00 | 異国旅日記

カテゴリ

全体
Polarbearology
しろくま紀行
異国旅日記
動物園一般
Daily memorabilia
倭国旅日記
しろくまの写真撮影
旅の風景
幻のクーニャ
エッセイ、コラム
街角にて
未分類

最新の記事

日本の飼育下のホッキョクグマ..
at 2018-11-22 00:15
札幌・円山動物園のララが満2..
at 2018-11-21 03:00
ロシア・サンクトペテルブルク..
at 2018-11-20 03:00
ロシア・ノヴォシビルスク動物..
at 2018-11-19 02:00
オランダ・エメン動物園のノル..
at 2018-11-18 03:00
ロシア極東・沿海州のハバロフ..
at 2018-11-17 01:00
ロシア・クラスノヤルスク動物..
at 2018-11-16 00:30
ロシア・クラスノヤルスク動物..
at 2018-11-15 01:00
メキシコ・モレリア市のベニー..
at 2018-11-14 02:00
ロシア・クラスノヤルスク動物..
at 2018-11-14 00:30

以前の記事

2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月

検索

ブログパーツ

  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。

ライフログ


人生と運命 1


スターリン―青春と革命の時代


モスクワは本のゆりかご


私のモスクワ、心の記憶


自壊する帝国 (新潮文庫)


甦るロシア帝国 (文春文庫)


嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)


ロシア 春のソナタ、秋のワルツ-1999-21st


それからのエリス いま明らかになる鴎外「舞姫」の面影


ミチコ・タナカ 男たちへの讃歌 (新潮文庫)


わがユダヤ・ドイツ・ポーランド―マルセル・ライヒ=ラニツキ自伝


ベルリン戦争 (朝日選書)


Hof――ベルリンの記憶


カチンの森――ポーランド指導階級の抹殺


北京烈烈―文化大革命とは何であったか (講談社学術文庫)


慟哭の通州――昭和十二年夏の虐殺事件


主題と変奏―ブルーノ・ワルター回想録 (1965年)


藤田嗣治 異邦人の生涯


Barle's Story: One Polar Bear's Amazing Recovery from Life As a Circus Act


Lenin's Tomb: The Last Days of the Soviet Empire


Resurrection: The Struggle for a New Russia


Hotel Adlon: Das Berliner Hotel, in dem die grosse Welt zu Gast war


Ein seltsamer Mann


Alma Rose: Vienna to Auschwitz


St Petersburg: A Cultural History


Gulag